2003年(平成15年)3月10日号

No.209

銀座一丁目新聞

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安全地帯(39)

−山に対する特別な感覚がある−

−信濃 太郎−

 群馬県山岳連盟の登山隊と同じく、最も困難だといわれるエヴェレスト(8848メートル)南西壁の登頂に成功した男、ダグ・スコットの講演会があるというので出掛けた(2月21日・東京・ワーカーズサポートセンター)。イギリスで著名で、不死身の登山家として知られる。スコットさんは長身、顔は髭だらけ、眼鏡をかけ、柔和そうな壮年であった。話は興味深かったかった。
 高い山を登った後、ベースキャンプで休んでいると、一種の恍惚感に浸る。なんといえない良い気持ちになる。禅の修業中に起きる無の境地とおなじものかもしれないかという。また高い山では危機感知能力がたかまる。「私はエヴェレストの頂上まで後僅か数百メートルと迫ったあたりで、私の思考は突然自分の体から離れ、左の肩を軸としたあたりから、別の自分によって歩く方向を指示されているような気がした」。歩みが早くなったり、クラストを踏み抜いて膝まで潜ってよろけたりすると「もっとゆっくり歩くんだ。リズムをとりもどすんだ。そうしないと、頂上へは行けないぞ」といってくれる。また、右へ行過ぎたときは、上のほうから私の進行を見下ろしているように、「そまま進むと雪庇を踏み抜いて東壁側に落ちてしまうぞ」と警告してくれるのだ(ダグ・スコット著「ヒマラヤン・クライマー」山と渓谷社刊)。
 これは豊富な経験、鍛錬、集中力が生んだものであろう。一流の武芸者は電車の中でスリを働くものを空気で察知して捕まえる。また殺気で身をかわす。一流のクライマーは8000メートルの高さで、吹く風、雪の質、雲の動きで自ずと危険を察知するのであろうか。その道の達人技というほかない。
 集中力、リズム、間。鍛錬、体力、気などについて考えさせられた。同時に柳生新影流極意「一眼、ニ足、三胆、四力」を口ずさんだ。どこかでつながっているような気がする。

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