2003年(平成15年)2月10日号

No.206

銀座一丁目新聞

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競馬徒然草(5)

−作家と競馬− 

 仕事の上ではもちろん、日常の生活でも、人は選択を迫られることが多い。その選択が正しい場合はいいが、往々にして、誤ったり不適切であったりする。取り返しのつかないこともある。その点、ゲームや趣味の世界では、失敗を恐れることなく、何度でも挑戦できる。例えば、競馬などがそうだ。競馬の愉しみの1つは、そこにあるようだ。そんな観点から作家のエッセイを読んだので、少し触れてみたい。
 例えば、亡くなった井伏鱒二さん。「まさか?」と思う人がいるかもしれないが、若い頃には、競馬をやった時期もある。ある日、中山競馬場へ行く。狙っていた馬がいる。たまたま出会った友人と考えが一致し、狙っていた馬の馬券を買う。それが穴をあけ、大儲けする。ところが、次のレースでは、友人と意見が分かれる。井伏さんはトクコウという馬を狙っていたのだが、友人はタストンという馬を挙げ、「絶対にタストンだ」と、自信を持って言う。どちらにすべきか。井伏さんは迷う。前のレースで得た配当金のすべてを、そっくり投じるつもりでいたからだ。さて、そのとき井伏さんは、どうしたか。そして、レースの結果はどうだったか。そこには、選択と決断のドラマがある。結末は、あえて伏せて置くことにしたい。さまざまな想像を愉しんで頂こう。
 それはともかく、井伏さんも競馬をやっていたというのは、なぜか親しめる話である。ついでに意外な人を挙げれば、幸田文さんも競馬を愉しんでいた。知人に競馬場に誘われたのがきっかけで、ひとりで出かけるようになっていた。馬券の買い方も、幸田さんらしく慎まし気な感じなのだが、レース中は叫んだり興奮もしているようだ。エッセイに書いている。「二番手を走る馬」が好きで、「二番を走っている切なさ、苦しさはどんなものだろう、と思います」と、二番手の馬への心情を記している。普通の人なら、このようなレースの見方はできないだろう。いかにも幸田さんらしい。教えられるものもある。
 「時たま当たることもあります。私のが当たれば、それは本当のまぐれ当たりです。スルのは好きじゃありませんが、当たってもどことなく相済まない気があります」とも、書いている。過熱気味の人には、是非読んでみることをお勧めしたい。『二番手』と題するエッセイである。
 「馬券、当たりましたか?」などと、野暮なことは訊くまい。当たっても、「どことなく相済まない気がある」などと、答えたいものである。
 あなたは如何だろうか。

(戸明 英一)

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