2002年(平成14年)11月20日号

No.198

銀座一丁目新聞

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ある教師の独り言(7)

−水野 ひかり−

 職員の殆どが性教育のよさにたしかに酔いしれていたので、その意見をむっとして聞く人が多かった.しかし、私は考えさせられてしまった。たしかに日ごろから性教育に否定的であった彼はことあるごとに難癖をつけてきた。今回も黙っている私をみてしてやったりというようにニャニャした顔をしていた。そこで私は「〇〇先生の話には二点課題があると思います。一つは性教育=エッチな教育と子どもたちが思ってしまう要因は何か.性教育を教師側がどう捉え、どのように子ども達に提示していくかを考える必要があるということ。もう一つは受精から生命誕生までを指導していく過程のなかで親が子どもに抱く愛情は誰もがもっていなければいけないけれど、クラスの状況を踏まえて授業計画をたてていかなければいけないこと、です。〇〇先生はとてもよい指摘をしていただきました。私などはロマンチックな考えが先行しがちでともするとムードに流されて緩慢なまとめをしそうでしたが、冷静にまとめが出来そうです」 と言った。
 学校で教えるどの教科でも持っていき方によれば子どもたちは盛り上がり、お互いのよさを見出してクラスは高まりを見せていく。だから性教育がベストとはいえない。しかし先にも述べたように、性教育は命の教育である。学習を進めれば進めるほど自分に命も自分を取り巻くすべての命も大切だという思いになる。同和教育にもつながり、国際理解教育にもつながっていく。教師の心掛け一つである。非常にデリケートな学習でもあるから授業を計画するにも慎重を期する。一律に学年全クラスがそろってできる場合とそのクラスの状態でできたり、出来なかったりする場合とがある。そして怖いなと思ったのは、授業を進めれば進めるほど教師の人間性も見えない何かでいつも語りかけられている思いがすることだ。「お前の生き方はどうか」と。いつも子どもはおちょくってみたり,心を傷つけても気付くことが殆どなかったりする教師には性教育は出来ない。ふざけた冗談を連発する教師が結構いる。子どもをしたい放題,やりたい放題にさせ学級を無法地帯にさせているクラスで性教育の成立は不可能なのである。そうさせている教師が突然真顔になって性について語りかけても子どもにひびていくわけはない。まして始めから否定的でいる教師が授業者ならばよけいである。
 学校はさまざまな考えを持った教師がいてさまざまな価値観を持っている。何が大切で何をしていけばよいか一つになって仕事を進めるのは至難の業である。研究主任となって,子ども達が学年ごとによいことを身に付け学校全体が良いムードになればよいと思っていたのだがそれはとても難しい事であった。

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