1999年(平成11年)2月1日

No.64

銀座一丁目新聞

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ゴン太の日記帳 (29)

目黒 ゴン太

 近頃、暇をもて余して、よく本を読ムことが多い。暇と言っても、通学途中の電車の中、学校のあまり聞く価値がない講義(自らの独断で決めつけているだけなのだが…)の最中等で、あまり気合いを入れて読ムことができない為、一度、読ムだけで、一発で内容、情景が、脳裏に浮かんで来る様な、比較的、理解り易い本が、主である。だから、大学等で、読メ、読ムベキダ、と勧められるモノには、手が出ないのだ。また、自分は、あまり、ハッピーエンドで終わる話の本に出会うことが、今まで、非常に少なかった。しかし、上記の状況で、しかも、生半可な気持で、本と対決したい、最近の自分にとって、ストーリーの後味の良さは、必要不可欠であり、こういう場合、ハッピーエンドが、ものすごく欲しくなるのだ。

 しかし、自分は、どうしても運が悪いのか、縁がナイのか、単に選ぶ力が不足しているのか、昨日、読み終えた宮本輝の「青が散る」も、すべてが納得のゆくエンディングとは言えず、とても、自分の中で、ハッピーにはなれないものであった。以前に、宮本輝の作品の2〜3本を、読んだ記憶が有り、それらは必ず、良い後味を与えてくれたので、今回も本屋にて、自分の中での審査を通過して、4〜5日程、自分と共にいたのだが、最終頃で見事に裏切られてしまった。話の内容と言えば、1人の大学生を中心にしたもので、彼を取り巻く友人との関係や恋愛模様を、4年のスパンで描いているという、年頃を同じくしている自分には、非常に共感を覚えるものが多くあり、文脈のテンポの良さに乗せられて読み通せてしまうのだ。

 本の中の主人公の行動、言動に、大変共感を得るとしたが、決して、自分と主人公の環境が似ているとは思えない。自分も一応大学に行っているが、いわゆる大学正的生活、つまり、サークルに入り、学校に毎日行き、友達も多い、キャンパスライフを謳歌している主人公とは、全く違うのだ。学校にはあまり行かず、バイトばかりに精を出し、たまの休みには寝てばかりいる自分は、70年代の大学生の王道をゆく主人公のどこに共感を覚えたのか。

 その答えは、自分が以前より、この原稿で書いてきた、20歳前後で考える始める自分のこと、自分達の周りのこと等にあると思う。この小説の中でも、主人公が考えている通り、20歳前後になると、様々なものが見えてくることにより、それまで、存在すら意識することのなかった、壁が、目の前に立ちはだかるのだ。そして、その壁に向かって、打ち破ることを念頭におき、モガキまくる年頃なのかもしれない。また、この年頃から、他人のみの肯定のみでは、行動できなくなり、自分の中でokを出したくなる時であると考える、他に意見されても、いったん自分の中に入れて解釈し、理解してから、考えるようにしたくなる頃なのだ。こうした欲求を、主人公から汲み取った為に、自分が、ハッピーエンドとは言えないこの小説を憎めず、むしろ、もう一度、読み直そうとしていることの理由に思う。

 

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