1999年(平成11年)2月1日

No.64

銀座一丁目新聞

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“針の穴から世界をのぞく(10)”

 ユージン・リッジウッド

この道はいつか来た道

 [ニューヨーク発]欧米はコソボを守るために決断出来るだろうか。最近バルカン半島のコソボで起きたユーゴ警察軍による村民惨殺事件をめぐり、今再び欧米の意志、NATOの意志が問われている。

 1月15日コソボの首都プリスティナからわずか25キロにあるラカックの村で女性と子供を含む45人がユーゴ警察軍により惨殺されているのが見つかった。1人はナイフで首を切り落とされていた。アメリカをはじめヨーロッパ各国政府が重大な関心を示したのは当然である。昨年10月NATOとユーゴ政府との間で結ばれた協定により、ユーゴ政府は狂暴な警察軍を引き上げ、コソボのアルバニア系住民と和解の話し合いを進めることに合意した。しかしコソボ解放戦線の活動がエスカレートするのに対抗して、ユーゴは再び解放戦線の粉砕と住民弾圧に乗り出したのだ。

 NATOはユーゴへの空爆をちらつかせながらミロシェビッチ大統領に打開策を迫っているが、進展はない。イラク問題では米英に批判的だったフランスも、今回は空母をアドリア海へ急派するなど、米英に歩調をあわせる。しかし果たして空爆威嚇は有効なのか。本格的にコソボを守るためには10万人規模の地上軍が必要とみられている。米英仏とも地上軍を投入するほどの覚悟はまだ出来ていない。それというのもコソボは現ユーゴスラビアのれっきとした領土の一部という事実を無視出来ないからだ。

 コソボは現ユーゴの最南部に位置して、アルバニア、マケドニアと国境を接する。2百万人の住民の9割以上がアルバニア系モスレムである。第二次大戦後独立したユーゴスラビア連合の中でボスニア・ヘルツゴビナやマケドニアは連邦内共和国の地位を与えられたが、東のボイボディナと共にコソボは自治州の地位しか得られなかった。この自治権もミロシェビッチ大統領が登場するに及んで、1989年に剥奪された。90年代に入り、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツゴビナ、マケドニアがユーゴ連邦からの分離独立に向かったが、自治権すら剥奪されていたコソボには追随する力がなかった。その欲求不満からついに昨年、一部過激派が解放戦線を結成して独立運動を始めたのだ。しかし欧米が弾圧を受けるコソボを支援するのは自治権回復のためであって、即時独立ではない。コソボ住民を守るための地上軍派遣となると、独立運動の直接支援になりかねない。それは最も厭うべき内政干渉である。

 今回空爆による牽制を欧米に意識させたのは、惨殺現場の1枚の写真だった。45人の遺体が村人たちの手で並べられた凄惨なもので、女も子供も明らかに背後から至近距離で銃弾を撃ち込まれていた。非武装の民間人と認識しながら銃殺するという非人道的行為が欧米人の心を激しく揺すぶったのは当然だった。

 昨秋成立した協定の順守ぶりを監視する国際監視団のリーダー、ウイリアム・ウオーカー米大使が現場に向かおうとすると、ユーゴ政府は同大使に国外追放処分を言い渡した。国際戦争犯罪法廷のルイーズ・アーバー検察官がマケドニアからコソボ入りを図ると、ユーゴ政府は国境で入国を阻止した。強硬なユーゴ政府に屈して今回の悲劇を放置すると、次々と惨劇が起きるのはボスニアの例で明らかだ。ボスニアでは95年7月、7万人の都市スレブニッツが国際社会注視の中でセルビア勢力に破壊され、7千人以上の市民がいまだに行方不明となったままである。欧米には再び傍観の愚を犯したくないという強い反省がある。

 一方ユーゴのセルビア人にとってコソボは屈辱の記念碑だ。1389年コソボまで拡大していたセルビア王国は、バルカン半島を北上するオスマントルコ軍によってこのコソボで粉砕された。コソボのセルビア人は北に逃げるが、1459年オスマントルコの完全な支配下に入る。19世紀に入り、ロシア・トルコ戦争によってセルビアはロシアの庇護の下に自治権を獲得、その後もロシアの支援を得て、1878年ついにトルコからの完全独立を果たした。コソボはセルビア人の命運を象徴する。コソボを制圧することはセルビアの威信回復であり、コソボを失うことはモスレムへの屈服なのだ。

 しかし異民族支配下の屈辱と苦痛を最もよく知るのはセルビア人である。そのセルビア人が今自らアルバニア系コソボ住民に異民族支配の苦難を強いている。

  この道はいつか来た道、

  ああそうだよ、

  民族の存続と独立を求めて、

  血と涙を流した道だよ

 それを思い起こせば、セルビア人は己が取るべき道も知れように。

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