2001年(平成13年)4月1日号

No.139

銀座一丁目新聞

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花ある風景(53)

 並木 徹

 いい本が出た(3月30日発刊)。「銀座一丁目新聞」に流麗な文章を披露した星 瑠璃子さんの「小さな美術館への旅」である。ひとつひとつが見事な読み物である。女性誌の編集長だった鋭い感性と取材力を生かしたすばらしいエッセイになっている。旅に出るときには、この本を忘れずにカバンにいれてほしい。
 たとえば、棟方 志功。小学生のころから絵が得意で「世界一の画家になる」といっていたので「世界一」と言うのが志功のアダ名であった。こんな子供はいなくなった。「写生がなによりの遊びでした。体がこんこんとひとりでにはずむのでした」
 このような紹介を読みながら「青森のゴッホ」から「日本のゴッホ」となった志功の絵をみると、また違った感慨がわく。
 毎日新聞西部本社の代表の時、北九州市美術館で「棟方志功展」を開いた(昭和58年5月25日から6月19日まで)。作品は晩年の10年間に描いた海道シリーズを展示したものであった。「盛岡石割御櫻の柵」(1973年制作)は印象に残る。石を割って画面いっぱいに咲き誇るさくらは生きんとする樹力を表現していた。
 いわさき ちひろ。やさしさ、みずみずしさいっぱいのちひろの童画は21世紀に入ってもフアンをますます増やすように思う。この人の絵がすきで毎日の西部本社代表の6年間の任期中、福岡と山口で二回も「ちひろ展」を開いた。いずれも盛況であった。とりわけ、カタログ、絵葉書、複製が驚くほど売れた。
 本の中でそのいきさつが記されている。一人息子の松本 猛さんと夫人の由理子さんが美術館をつぶさないために、必死に企画を考え、画集、複製、絵葉書などの出版に力をいれ、入館料の不足を印税でカバーしようとした。その作戦が見事的中したわけである。
 星さんは書く。「いま美術館として残るこの地はそんな彼女の憩いの場であるとともに戦場だったが、戦い半ばで病に倒れた。五十五歳の生涯だった。その人自身もかくやと思わせる、こんなに透き通るように淡く美しい小さな絵をたくさん残して」
 三岸 節子。母のふるさと愛知の人であるので昔から親近感を持っていた。好きな画家の一人。自由奔放な天才画家、好太郎に31歳で死なれ、三人の子供を抱えてなお「これで生きられる」と言った三岸のたくましさには頭がさがる。しかも三岸は異才であった。
「三岸節子展」を見たのは1999年1月(1月19日から1月31日まで大丸ミュージアム梅田)であった。三岸がなくなる三ヶ月前である。
 三岸の絵は静物よりも「小運河の家」「細い運河」の風景画の方が好きである。ヴネチャの運河は三岸の絵画の重要な転機の一つとなったと星さんの本にもある。三岸がいうように「心をゆすぶりとろかすような色彩を求めて色から色へとの遍歴」が静物から風景画へ成熟を遂げたのかもしれない。
 この他37の美術館が紹介されている。どうぞ、気に入った美術館へ・・・
 不況の折、あえて「小さな美術館への旅」(1200円+税)を出版した「二玄社」の志を高く評価したい。

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