2001年(平成13年)1月1日号

No.130

銀座一丁目新聞

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追悼録(45)

 芭蕉が好きである。その句をあげよといわれたら、つぎの句を詠む。

      此の道や行く人なしに秋の暮れ

 元禄7年(1694年)芭蕉51歳の作である。

 20歳でジャーナリズムの世界に入った。戦後のかずかずの大事件にもまれ、育てられ、今日に至った。75歳のいま、ホームページ「銀座一丁目新聞」で世間に訴えている。インターネットの世界では情報の質こそ最後に勝つと信じて、発信している。新聞文章は 一、達意、意味がわかること ニ、簡潔、短く、要点をとらえていること 三、明瞭、はっきりしていること の三点が極意だと教わった。当時のデスクからそのために俳句を勉強せよと進められた。
 記者の道は奥が深い。最後に頼るものは自分自身しかいない。孤高である。だから、この句に惹かれるのかもしれない。
ひまがあると、漫然と俳句の本を読む。江国 滋さんが「俳聖 松尾芭蕉の虚実」の中で面白い事を書いている。芭蕉の駄句を駄句だときめつける勇気ある俳人がいるというのである。俳誌「好日」の主宰者で昭和43年、68歳でなくなった安部 宵人さんで、「塚も動けわが泣く声は秋の風」が駄句というのである。阿部さんは「俳句の泣き方はこんな泣き方であってはいけません。ぐっと抑えてわずかに肩を動かすのが俳句の泣き方であります。手放しに泣くのは自己宣伝か芝居であります」という。(『俳句―四合目からの出発』文一出版)
 なるほど・・・しかし、私は駄句だとは思わない。「閑さや岩にしみ入蝉の声」と同じような、芭蕉の鋭い感性が生み出した句だと思う。物理的にいって蝉の声が岩にしみ入るはずがない。「岩にしみ入」と表現したのは立石寺のたたずまいがひっそりっと静まりかえっていて心も澄み渡るようであったからであろう(日本古典文学全集、松尾芭蕉集より)。「岩にしみ入」という表現はそうそう簡単にできるものではない。文学的というよりもすぐれて哲学的であり、宗教的である。
 「塚も動け」の解釈だが、これを泣き方が大げさだととるか、嘆き方の深さととるかで印象は異なる。後者を取れば、塚の動きも静的に捉える事ができる。前出の松尾芭蕉集には芭蕉の嘆きを無限の慟哭と表現し「塚よ秋風に吹かれている塚よわが深い哀悼の心に感じてくれよ」と解釈している。
 私も芭蕉には駄句があると思う。すべてが名句とは思わない。その意味で安部さんの勇気に敬意を表する。俳人も自由人である。批判すべきは批判すべきである。権威に恐れる事は全くない。それにしても俳句の道はけわしく、深い。
 芭蕉は「此の道や・・」を作った日から20日ほどしてこの世を去った。

(柳 路夫)

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