2000年(平成12年)9月20日号

No.120

銀座一丁目新聞

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横浜便り(11)

分須 朗子

「花火のあとに、淋しくならない方法」


 8月の終わりのある夜、羽田空港から高速バスに乗った。
 鶴見つばさ橋にかかる辺りから、横浜港の対岸がイルミネーションで闇に浮かぶ。桜木町の大観覧車が赤、青、緑と七色の電光を放っている。コスモクロックを軸に表れる直線や放物線の電飾の律動が、特大花火の図柄を描く。
 のどかな田舎道を歩いた出張旅行の帰途、こんな幾何学的な都会の模様に心底ほっとするのは、横浜の景色だから。
 土地は、いつでも、そこで待っていてくれる。

 うちに着く。夜も更けた時刻に、自宅裏にある丘の上の公園から、シューーーー・ボンッと小さな破裂音。花火の音の合間に、子供たちのはしゃぐ声が響く。家族で夏休みの打ち上げ会だろうか。お父さんの声もする。
 今年も夏が過ぎていく。

 この夏、花火大会に出向いた。ふと、小学一、二年生の時分、夏休みの宿題の絵日記で、山下公園の花火大会のことを書いた記憶が蘇る。花火大会はあれ以来行ってない。
 待ち合わせは錦糸町。青い浴衣。横浜から電車で40分ぐらい。背中の赤い帯リボンが気になって、落ちつかない。両国駅前、真夏日の炎天下に人混みの熱気が重なる。それでも、日が落ちる夕刻、隅田川の川面をなでる風が秋めいている。
 花火イベント開始。機動隊員の指示の下、吾妻橋を移動する人の群れ。地を揺らす花火の連打音。わずか20分、火の粉を落として舞う花火師の仕業に目を凝らす。90万人の人出だったという。一度渡り終えると、そのまま橋を引き返すことはできない。人の流れが押し寄せる。
 浅草の町の路地を行く。地べたに座る人々が、ビルの狭間にのぞく花火に歓声を上げていた。最後まで花火を見届けた後の寂寥さを想像してみる。
 振り返らずに、花火を後にする。

 ここでは、人は動いている。時間は待ってくれない。
 まぶたを閉じて、空の音に耳を傾けなかった。立ち止まって、空の色を見上げなかった。単純な言葉を少し発しただけ。「混んでるね」とか「わあ、きれいだな」って。
 そうしたら、淋しくなかった。
 くっきりと心に残っている花火の姿は、一つか二つ、陽気なまま。



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