2000年(平成12年)5月1日号

No.106

銀座一丁目新聞

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追悼録(21)

 

 東京・市ヶ谷にできた防衛庁の新庁舎を見学した(4月17日)。旧陸軍と縁の深かったところだけに、記念館、メモリアルゾーンは厳粛な気持ちで説明を聞いた。見学に先だって殉職者慰霊碑に献花、拝礼を行った。戦後、日本の安全を護り、また災害救助のために、保安、警察予備隊時代から陸,海,空の隊員1867名が殉職している。
この見学の後,同期生の霜田 昭治君から陸士59期予科4中隊2区隊の会報「よしの路」(NO34)をいただいた。
この会報に偶然にも彼らの区隊長白戸 宏さん(55期)が「殉職」という一文をよせていた。とりあげているのは、昨年11月22日に狭山市で起きた自衛隊機の墜落事故。二人の乗員の死は殉職であり,惨事を未然に防いだ「身を殺して仁と為す」行為であると激賞している。
空幕援護業務課,中川ニ等空佐と航空総隊司令部飛行隊門屋ニ等空佐の二人は、航空自衛隊入間基地所属のT33ジェット練習機で訓練中、「操縦室内に煙が入ってきた」と伝えた後「緊急脱出」と発信して間もなく入間河川敷ゴルフ場に墜落炎上したものである。
防衛庁側はパイロットは両名とも飛行時間5千から6千時間をこえるベテランであり、機体の向きを人家密集地域から引き離すため脱出がおくれ、パラシュートが開くのが間に合わなかったのではないかとみている。
白戸さんは朝日新聞の「声」の欄に載った狭山市の主婦の投書(昨年11月28日)を紹介する。それによると、特攻で操縦の経験のあった父から自衛隊の飛行機は必ず川原に落ちてくれるから大丈夫と聞かされていました。今日はまさにその通りです。基地の町に住む者にとって今後不安が残りますが、なくなられた自衛隊員の方に感謝しておりますとある。
しかし、すべての人が自衛隊に好意的だとはいえない。この事故で東京、埼玉80万世帯に停電が起こり、一部交通機関に影響がでた。このため、自治体からは飛行中止の声もでた。
自衛隊としても、安全対策には万全を期せねばならない。一方、国を護る使命を持つ自衛隊は積極的に地域住民とコミニューケイションをもつべきである。特に陸,海,空の訓練は必要であることをことあるごとに強調すべきだと思う。航空自衛隊がいかに地域住民に気を使っている例として,空将小福田 皓文さん(海兵59期)の話を書く。
小福田さんは昭和35年9月,浜松にある第一航空団司令として着任、旧海軍時代のテストパイロットの経験を生かして航空事故を減らすのに努力して実績を上げた。ある時、基地の近くにある静岡大学工学部から毎年三月はじめに行う入学試験に、飛行機の音がうるくさくて受験生が迷惑するから試験当日は飛行訓練を中止してほしいと第一航空団に申し入れがあった。航空団では飛行を中止して休みにした。ところが、米軍のジェット機が二機飛んできて航空団の滑走路でタッチ・アンド・ゴーをはじめた。とたんに小福田司令が怒りだし、管制塔に「米軍機は直ちに飛行を中止せよ、さもないと、高射砲で撃ち落すと警告せよ」と電話をかけさせた。警告が通じたと見えて米軍機はあわてて立ち去った。小福田司令は米軍機であっても機転をきかして大学との約束をまもったのである(「空将 小福田 皓文 小伝 」編集・木村 睦夫より)
小福田さんは平成7年7月 惜しまれてこの世をさった。
(柳 路夫)

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