2000年(平成12年)3月20日号

No.102

銀座一丁目新聞

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追悼録(1

 ゴルフをしていてとても楽しい人
がいる。なくなった品川白煉瓦の相談役坂田哲夫さんはサウスポーながら、実に愉快であった。おだやかなな人柄がプレーにあらわれる。身長160センチ、体重63キロと小柄で私より10も年上ながらチョコレートはとったりとられたりした好敵手であった。


 無理もない。スポニチ主催のOFBL(企業16社の45歳以上の役員、部長で構成する野球リーグ)の野球大会で40年に打率7割5分、45年にノーヒットノーランを達成した名投手、強打者で、スポーツは万能なのである。


 その葬儀で弔辞をのべた同社社長、鈴木晴久さんもその功績をたたえると共に、野球とゴルフとマージャンをこよなく愛したと言及された。「良く働き良く遊ぶ」典型的な大正人であった。


 坂田さんは昭和13年東京商科大学(現一ツ橋大学)を卒業とともに品川白煉瓦に入社、主に総務、経理を担当し、53年に社長となり6年間無事つとめた。人柄そのままに無理をせず、何事も誠実にやれば、事はなるという主義で、業績をあげられたという。


 OFBLはこの春で95回を迎える。この大会を推進してくれたのが坂田さんであった。感謝のほかない。春秋2回の野球大会の後役員の懇親をかねたゴルフ会が開かれる。ある時、社長の部で私が優勝し坂田さんが準優勝した。副賞のスポニチ像を私がいただくわけにいかなので、坂田さんにお譲りしたことがあった。坂田さんは「これが欲しかった」と子供のように喜ばれたのを記憶している。


 昨年4月、背中に痛みを感じ診断の結果肺ガンとわかった。それ以来闘病生活を送られたが、今年2月26日85歳でなくなった。坂田さんのモットーは「己に厳しく、人に思いやりを」であった。それはかれの人生そのものであった。(柳 路夫)

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