2000年(平成12年)3月20日号

No.102

銀座一丁目新聞

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茶説

的をいた批判をせよ

牧念人 悠々

 世の中がおかしいと感ずるのは私だけではないであろう。特にニュース、情報の扱い方がいい加減という印象を受ける。


 営団地下鉄日比谷線の脱線事故の際、小渕総理が第一報を聞いた後、理髪に行ったことをとらえて、危機管理能力がないのではないかと批判されている。国会でも質問された。的をはずれた批判であり、バカバカしさにあきれる。
この際、大事なのは小渕総理の居所である。万一のことがある時、所在不明では困るからである。ちゃんと理髪室にいるのだから問題はない。総理が批判される筋合いは全くない。
事故現場では爆弾テロの噂も流れた。考えられない事故だけに、当然かもしないが、その噂はすぐ消えた。事故そのものは営団の事故調査班と所轄署に当たらせばいいことであって、官邸の対策室は形ばかりのものにすぎない。小渕さんを弁護する気持ちはさらさらないが、いわれなき批判はおかしいといわざるをえない。


 新潟県警の不祥事さいも同じことがいえる。不幸なことにミスが重なった。ミスのひとつは少女誘拐類似事件のリストに捕まった男の事件を入れなかったこと。二つ目は男を確保したのは保健所の職員であるのに、警察がつかまえたようにウソの発表をしたこである。この場合も刑事部長、刑事課長さえしっかり部下の仕事を監督、指導しておれば何も問題はなかった。県警本部長にあるのは上司としての管理責任だけである。事件が発覚した時、どこにいたのか所在さえはっきりしておればいい。勤務時間以外であれば本人がマージャンをしようが酒を飲もうが一向にかまわない。それにもかかわらず、誤った世論の流れに抗しきれず辞任しその上、退職金まで辞退してしまった。不運というほかない。


 私自身,堅ぐるしいことはこのまない。とりわけ形式的,建前的なことは嫌いだ。余り実態を知らず現場主義をとらず批判するジャーナリズムはやがて自分たちのクビをしめる結果になることをしるべきだ。


 警察制度の改革は志を持ち,信念ある警察官を採用し,育成することとエリート警官のあり方を考えることにつきる。

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