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集団的安全保障を考える
牧念人 悠々
1月の靖国神社の社頭掲示の御製は
「波立たぬ世を願ひつつ新しき年の始めを迎へ祝はむ」(歌い会始め「波」平成6年)である。
これは戦後70年を迎えた日本国民の願いである。
安倍晋三首相は今年、集団的自衛権行使のための安全保障法制整備を進める。自分の国を守るのはその国民自身である。しかも一国だけでは平和を守れない世界情勢であれば日本としての安全保障を考えるのは当然であろう。
安倍政権は集団的自衛権を行使する枠をはめた(昨年7月1日閣議決定)。つまり「我が国と密接な関係のある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において」とした。
問題はこれから提案される法案である。この決めた枠組みを逸脱するかどうかである。憲法学者の木村草太さんは「照らし合わせるべき条文は憲法9条ではなく内閣の権限を決めた73条だ」と指摘する(毎日新聞夕刊)。「73条には外国のために国外で武力を行使する『軍事力』の規定はない」という。政府には規定のない『軍事力』の法案を提案するのはいかがなものかというわけである。
どうであろうか。「内閣総理大臣の職権」を定めた72条で「行政各部を指揮監督できる」とある。また自衛隊法7条では「自衛隊の最高の指揮監督権を有する」とある。現に自衛隊が存在する以上、これを海外に派兵するなどの法案提出を違法というわけにはいくまい。さらに言えば。軸足が集団的安全保障にかかっている元陸幕長冨沢暉さんは「集団的自衛と集団的安全保障」の違いを指摘する(雑誌「偕行」1,2月号)。集団的自衛は「その権利を行使しても許される」という権利の法理に立ち、その目的は「特定他国を守る」ことにあり、英法の「妻子等の自衛」に起源をもつ。無論、その権利は行使しなくても良い。集団安全保障は「感謝(奉仕)の意味を込めて参加すべきもの」とする義務(OBLIGATION)の法理に立ち、その目的は特定他国の防護ではなく「国際社会の平和(秩序)を守ることにある」英法の「犯罪防止」に起源をもち、不参加の罰則はないが不参加は恥ずべきものとされる。以上が冨沢さんの見解である。
今後出されてくる「集団的自衛権行使のための安全保障法制」は冨沢さんの見解を斟酌しつつ検討すればよいのではないか。憲法9条がある以上その枠の中で考えればよい事だ。
1月の靖国神社の社頭掲示の「遺書」は陸軍軍曹本多正命のもので、辞世は
「言うなかれ一髪のみと我が魂は七度生まれ祖国を守らば」であった。
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