安全地帯(452)
−信濃 太郎−
辻井喬の「風の生涯」に感あり
正月休みに辻井喬の「風の生涯」上・下(新潮社刊・2000年12月5日・2刷)を読み返す。今から14年前に出た本である。当時、小説の主人公矢野重也の卑しくない生き方に共感を覚えた。「武士の教育において守るべき第一の点は品性を建つるにあり」。卑しさは自ずと行動と顔に出る。これぞ武人だと思った。戦時中、軍の学校で「士官候補生の矜持を忘れるな」「常に率直で淡白であれ」と教えられた。小説のモデルは国策パルプの社長・水野成夫(1972年5月死去・享年72歳)である。社会部記者であったから一度も会う機会がなかった。一度会っておくべき人物であった。残念でならない。
読み返してみて筋はともかく今回、意外な発見があった。心に響く言葉があった。「文学というものはこうした日常の些細なことを表現する術なのだと思うこともあった」と著者は言う。実は私は些細なことを見落としている。最近やっと些細なことに気が付きだした。「些細なことに神宿る」である。それを巧まずして表現できれば素晴らしい文学が出来るであろう。人は雑事という。この世に雑な仕事というものはない。すべて手を抜かず為さねばならない。「こんなつまらない仕事を何でおれにやらせるのだ」と何回文句を言ったことか。
さらに獄中、主人公は古事記や万葉集を読み日本の文化の古層にある文化の力を知る。事を決するのは軍事力ではなく文化であるという。日本文化はもののあわれを知るという事であり、一輪の可憐な花の情緒を下敷きにする。
著者は指摘する。「政党政治家が自らの安全と栄達を国の命運よりも上に置き軍に迎合する姿勢をとった時、国の滅亡は予定されてゆく」。国民はよく政治家を監視しないと自分たちに不幸が跳ね返ってくる。現在『軍』を「米国」「中国」と置き換えてみれば政治家の姿が透けて見える。
読むべきは本。様々なことを教えてくれる。同じ本でも2度読めばさらなることがわかる。
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