花ある風景(518)
並木 徹
梅の花よ心あらば伝えよ
今年は寒さのせいか関東では「梅祭り」が3月1日から各地で始まった。梅の花といえば、菅原道真の歌を思い出す。平安時代、菅原道真は、大宰府へ左遷された。延喜元年(901年)のことである。
「東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ」(治承4年=1180年頃の編纂・『宝物集』巻第二)。
手元にある「自然大博物館」(小学館)を見ると、梅は中国中部が原産。日本には686〜697年に渡来したとある。菅原道真邸の梅は日本に来てすでに200年も経たことになる。梅は春が来たのを知らせる花。咲き始める梅に菅原道真が都を思い出しても不思議はない。それより200年前、大宰府官人(防人司佑)大友四綱も望郷の歌を作る。
「藤波の花は盛りになりけり平城の京(ならのみやこ)を思ほすや君」(巻3―330)
ともかく、梅の色と香に古来、万葉人も江戸時代を経て現代の俳人も酔いしれた。「あおによしならのみやこはさくはなのにほふがごとく今盛りなり」(巻3ー328)と詠んだ太宰少弐小野老朝臣も「梅」を詠んだ。710年、平城京に移ってから時代は次第に爛熟退廃期に入る。古事記(712年)日本書紀(720年)編纂、法隆寺金堂壁画、薬師寺東堂精聖観音像(711年)などなど・・・「ももしきの 大宮人は 暇あれや 梅をかざして ここに集へる」と詠む(万葉集巻10−1883)。万葉集には梅を詠んだ歌は百首をこえる。
有名な「鶯宿梅」の故事を紹介したい。村上天皇(在位946〜967)の時代に清涼殿の前庭の梅の木が枯れた。代わりを西の京で探し当てて掘り起こした。すると梅の木の持ち主が梅の木にこの手紙を結び付けて持ち帰ってくれという。天皇にお見せすると「勅なればいとも畏き鶯の宿はと問はばいかが答えむ」とあった。調べさせると紀貫之の娘の住んでいるところであった。天皇は梅をすぐに返された。この女性に紅梅内侍の名を賜ったという。
梅は源氏物語にも14回出てくる。源氏物語では按察大納言が自分の姫を匂宮にと思い紅梅を添えて匂宮に歌を送る。「心ありて風の匂わす園の梅にまづうぐひすのとはづやはあるべき」。これに宮は「花の香に誘はれぬべきなりせば風のたよりを過ぐさましや」と返歌したという。
山里は万歳おそし梅のはな 芭蕉
道ばたの風吹きすさぶ野梅かな 高浜虚子
紅梅や大きな弥陀に光さす 太祇
言わずとも伝えておくれ梅の花 悠々
今年も我が家の梅は白い花をつけた。昨年はたくさんの実を付けた。「梅酒」にした。その瓶を探したが見つからなかった。梅酒の季語は夏である。暑気あたりや下痢に効くという。
妻留守さがす梅酒の置きどころ 土方秋湖
「下戸なのに毎年作る梅酒かな 悠々
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