2014年(平成26年)3月1日号

No.602

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茶説

ワレサ「連帯の男」

  牧念人 悠々



  「連帯の男」・レフ・ワレサは現在70歳(1943年9月29日生まれ)になる。ポーランドの政治家、ポーランド共和国の第三共和制初代大統領、ノーベル平和賞受賞者(1983年)である。ちなみに「ソルトレイクシティ・オリンピック」では開会式でオリンピック旗を掲揚する際の旗手を務めた。

 その男の伝記を描いたアンジェイ・ワイダ監督の「ワレサ 連帯の男」の映画を見る(4月5日より東京神田神神保町・岩波ホールでロードショー)。

 ワレサはポーランドのクヤヴィ・ポモージェ県リプノ郡ポポヴォという小さな村で生まれる。高校を卒業したのち、1967年グダニスク造船所(旧レーニン造船所)で電気技師となる。ワレサは電気技師という職業を誇りとしていた。映画でも「お前は政治家ではないか」と官憲から詰問されると「俺は電気工だ」強く主張する場面が出てくる。生まれながらにリーダー的性格の持ち主であった。学者先生が5時間かけて出す結論を5秒で出す。「それは自分でそう結論を出したからだ」といい、「勘が働く」ともいい切る。

 この激変の時代、リーダーに「勘」だけを求めるわけにはいかない。リーダーとには何が必要か。作家城山三郎は1、常に生き生きしていること1、いつも在るべき姿を求めている1、人間卑しくないことの三つを上げる。なるほどワレサには十分にその資格がある。

 1970年12月12日、食料品値上げ問題が起きる。バルト海沿岸諸都市で労働者が抗議。鎮圧のため軍警察が発砲、死者41名負傷者1164名を出す騒ぎとなった。この時,ワレサは検挙され、公安当局に協力するという誓約書を書かされる。それでも労働者の自由を求めてレーニン造船所のストに参加して指導的役割を果たす。ワレサが多くの子供を抱え貧しい暮らしをしているのに苦難の道を選んでゆくのは「人間の自由を求める志」というほかない。さらにその先に「希望」が見えるからである。それは「狂気」であった。リーダー的性格はカリスマ性と政治的感性を加えてゆく。

 1980年9月17日独立自主管理労働組合「連帯」発足、委員長となる。このころポーランドはじめ東ヨーロッパの国々はソ連邦の傘下にあって検閲や思想統制撫でに縛られていた。当時の政策を批判したため、1981年12月13日戒厳令により身柄を拘束される。共産党政権に協力を求められるが拒み続ける。1982年11月ブレジネフ書記長の死とともに解放されグダンスクの民衆に歓迎される。1983年10月、ノーベル平和賞を受賞する。出国が許されないので妻が代わりに授賞式に出席する。帰国した妻の税関の扱いがひどい。まる裸にして身体検査をする。今の中国はノーベル文学賞の受賞者差へ本人はもとより夫人まで出国させない。その後、ワルサは1990年の大統領選挙で当選し、次々と自由化・民営化を行っていく。再選をかけた1995年の大統領選では、クファシニェフスキに僅差で敗れた。ワレサが求めてやまないものは「人間の自由」である。それがいかに大切であるかを画面が訴える。「時に君たちは、自由のために闘わねばならない」のワレサの声が響く。