安全地帯(372)
−信濃 太郎−
友人出演の『非常警戒』を見る
スポニチの編集局長・役員だった小西良太郎君が菊田一夫の『非常警戒』に出ているというので見に行った(9月28日・深川江戸資料館小劇場)。このお芝居は劇団東宝現代劇75人の会の第27回公演・演出丸山博一である。音楽プロデユーサーでもある彼が6年前に俳優を志した。宿屋の亭主役を堂々とこなしていた。語り口は以前と同じべランメー口調だ。秋田弁を無難にあやつっていた。時代設定は敗戦間もなく、闇屋が横行した時代である。場所は秋田。吹雪のため列車が不通となり、買出しに来たヤミ屋などお客が駅前旅館に足止めになり、様々な人間模様が描かれる。そこへ飛び込んできたのが二人組のビストル強盗・殺人犯の手配、大騒ぎとなる。
今の若者にはヤミ屋といってもピーンとこないであろう。敗戦後の食糧・日常品不足でヤミ市場が繁盛した。ヤミ屋はそこへ余所からから闇の米などの物資を運んできた。たとえば、横浜の南京街では毎日数百俵の米が流入、天丼が20円で売られていたという。ちなみに当時、煙草のピース10本入りが7円、新聞が月極め8円、1部25銭、ハガキ15円、清酒1級40円、ビール6円などであった。「タケノコ生活」と言う言葉がはやった。着ているものを一枚、一枚はがすように着物を米に変えていった。すいているのは腹と米びつ。すいていないのは乗り物と住宅であった。ひもじかった敗戦直後のことを思い出す。
舞台では東京に帰るヤミ屋の浩平と修吉、北海道で再起を図る女給上がりのかねが三角関係を繰り広げる。若い真面目そうな修吉に気があるのだが生活力ある浩平にもひかれる。最後は意外にも修吉が手配の殺人犯と格闘、人質になったお客を救う結果になる。
確かに凶悪事件が起きた。昭和21年3月には、歌舞伎俳優片岡仁左衛門一家5人が殺された。犯人は使用人で食事の差別であった。8月には買出しに来た主婦や娘さんに米を世話するなどとだまして10人も暴行・殺害した“小平義雄事件”があった。菊田一夫が東宝演劇部の取締役になったのは昭和30年。32年にオープンした日比谷芸術劇場が東宝現代劇1期生たちの修業の場に提供される。菊田一夫はこれらの若手のために「ミステリーやサスペンス物を上演したいと考えた」という。実は『非常警戒』の初演は昭和22年である。舞台には奉公に出す子供を宿屋に預ける地元の刑事が登場。思いもかけず脅迫犯人の人質となり、子供の目の前で人質全員をケガなく無事に救出させる方策を考える場面に立つ。時には子供に励まされる。宿屋の亭主には「早く何とかしてくれ」と言われる。その言葉には切迫感がった。結局はこれ以上無益な殺傷はしたくないという犯人が逮捕されて幕となる。終始どこかでとちるのではないかとハラハラして見ていたが余裕たっぷりの宿屋の亭主ぶりであった。犯人から女房をかばう所作もよく、ただならぬ仲のお手伝いさんとのやり取りも十分感じが出ていた。華麗な転身と感心した。
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