花ある風景(470)
並木 徹
「華の道東西南北走り来て終の住処も愉しからずや」 愚風
嵐圭史さんの「今朝の露に」―わたしの芝居旅(新日本出版社・平成24年9月25日刊)を読む。面白く、芸の奥行きの深いのをあらためて知る。嵐圭史さんと縁が出来たのは「子午線の祀り」(第5次・平成4年1月9日から2月20日・セゾン劇場)を主催した岩波ホールの高野悦子さんのお手伝いをして以来である。その際、高野さんから「圭史さんと言う人はお芝居がとても上手ですよ」と聞かされた。嵐圭史さんに頼まれて前進座のお芝居を一度だけ後援した。その後しばしば前進座の芝居を見ている。
本の中で「子午線の祀り」に関する一部分を紹介すると、第3次公演(1985年9月26日から28日・前進座劇場)の稽古の時、宇野重吉が平知盛役の圭史さんに「情緒的演技を捨てされ」と執拗にもとめたという。「おのれの運命を捉える事が出来た男」の役柄とはそういうものであろうか。おばあさん役見事演じた北林谷栄さんは『おばあさん役のコツ』を聞かれて『役のお婆さんの心に添うこと』と答えている。役の心を知ること、こざかしいテクニックなどいらないというわけである。平宗盛役を演じた観世栄夫(2007年6月8日死去・享年79歳)の追悼の記ではその役はまさに絶品という。「品格、無力でもどこか人の良い適確な人物形象、そして地の底から湧いて出るがごときの、心地よい声のひびき・・・』と表現する。「声」と言えば、圭史さんは『役柄と声』について別に1章を設けて書いている。役柄に即した声の質感を語る。今後お芝居を見る際とくに気をつけて「その声」に注意してみよう。
足掛け7年をかけて全巻朗読のCD「平家物語」《2001年8月新潮社発売)を出しただけに「平家物語」にはかなりのページを割く。平家物語を「盛者必衰」「諸行無常」の世界としかとらえていない私にとって「往生の素懐を遂げる」のは女たちだけであったとか、日本語の「音」「訓」のややこしさ、むつかしさ、この物語の本質は『運命』であるという指摘などは新鮮に映った。
「山川異域、風月同天」と喝破した鑑眞和上にも筆は進む。「天平の甍―鑑眞東渡」を中国で公演する(2003年10月)これは日中平和条約締結25周年の記念事業であった。それから15年。今、日中関係は尖閣列島問題で揺れている。殆どの行事は中止となった。荒波に抗して遥かなる旅路に挑んだ鑑眞和上の言葉を今こそかみしめるべきであろう。
「和上像桜の舞いに笑み零れ」愚風
本の題名をどこからとったか疑問に思っていたところ何のことはない。前進座の「座歌」にあった。『劇は是 我らが命 進め 若く 新たに勇めよ 今朝の露に 貴くも悲しくも 行かんむ 前進座 前進座」(作詞・北原白秋、作詩・山田耕作)。青春とは心の態様をいうという。嵐圭史さんもこれからだ。大いに期待する。