2012年(平成24年)4月1日号

No.534

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花ある風景(450)

 

並木 徹

 

 泉鏡花が愛した『幻想と怪奇』の世界
 

 泉鏡花は小説の題材に好んで幻想と怪奇の世界を選んだ。その戒名は『幽幻院鏡花日彩居士』(佐藤春夫の撰)という。シネマ歌舞伎「高野聖」は鏡花が愛した異界を女(坂東玉三郎)と宗朝(中村獅童)が見事に演ずる。現代人の好みは別にあるのであろうか。観客は意外と少なかった(3月19日・東京築地・東劇)。

 この小説は発表された明治33年にもあまり評判にならなかった。明治33年は西暦1900年で20世紀の始まりである。このころの世相をみると、新橋にビヤホール開業(明治32年7月)、当時の新聞は「全く四民平等というべき別天地でちょっとしたお世辞にも貴賎高下の隔てはさらにない」と報ずる。ビール一杯(半リットル入り)10銭、馬車で遠方から来る客もあって大繁盛したという。上野発福島行きの列車が栃木県の矢板・野崎間にある箒川鉄橋の中央で暴風のため列車が転覆、川の中に吹き飛ばされて死傷者50名を出す。機関車2両と貨車9両は橋の上に残り、客車5両,緩急車3両は橋下に吹き飛ばされるという珍事であった(明治32年10月7日)。今も昔も自然の猛威は変わらない。誰も想定外とは言わなかった。足尾銅山鉱毒被害農民7千人上京、政府に陳情する(明治32年9月27日)。公害問題の始まりであった。明治33年になると、4月東京株式市場大暴落する。秋には展覧会に出品された裸体画、彫像の局部に黒布を被って展示する。

 「異界の世界から人間社会の愚かさ、醜さをの覗き、その先に不変の美と真を輝かせようという」鏡花の思想は目先の享楽にふける者たち、利益を優先する人々、古い枠を墨守する人には受け入れられなかったのであろう。小説「高野聖」が評判になるのは明治40年代からである。

 高野聖の宗朝がたどる道は飛騨高山から深山を通り信州松本に向かう深山幽谷である。右に乗鞍山(3025m)、左に焼岳(2455m)を望む。「孤家」(ひとつや)に住む妖しくも美しい女は,女の色香に迷う旅人を馬,猿や鳥に変えてしまう。宗朝が変身せずに助かったのは禁慾を守ったためであった。その上「川へ落ちたら何うしましょう。川下へ流れて出ましたら、村里の者が何といって見ましょうね」と言う女の言葉に「白桃の花だと思います」と答える宗朝に人間の純粋さと思いやりがあったからでもある。

 昨年の3・11の東日本大震災は時代の流れを一変させた。被災地のがれきの処理は他府県地方自治体住民のエゴによって阻まれている。政治家は復興より政局に狂奔する。鏡花が「人間はどこまで愚かなのか」と111年前に問うた疑問にまだ答えを出せずにいる。日本は戦後66年間の平和な生活の中で極端な自己主義に走り我利我利亡者となってしまった。自分さへよければ他人はどうなってもよいと考える。常に最悪に事態に対処することを忘れてしまった。亡国の民となる。正邪の区別がつかず結論を先延ばすことが当たり前になった。無責任な者が増える。「女」(坂東玉三郎)が「孤家」を訪れた邪な旅人を変身させた大蝙蝠、蛇,蛙、猿が自分達の姿であるのに気付かない。高野聖の宗朝の気持ちが理解できないでいる。シネマ歌舞伎「高野聖」のお客の入りが悪いのはこんなところに原因がある。理解されるのにあと10年ぐらいかかるかもしれない。