安全地帯(353)
−信濃 太郎−
孝養の太子像や春の風
友人の荒木盛雄君に誘われ、川井孝輔君と共に法隆寺展を見る(3月16日・東京高島屋)。法隆寺に伝わる聖徳太子像をはじめ彫刻、絵画、工芸、染織、書跡など130点が展示され、会場はかなり混雑していた。
法隆寺は聖徳太子一族のために建てられた寺である。奈良市斑鳩町にある。聖徳太子と言えば「和をもって貴しとなす」など仏教の信仰を説いた『憲法17条』が思い浮かぶ。2歳から7歳のころまで早朝、手を合わせてお経を唱えられていたと伝えられている。用明天皇に可愛がられたという。孝養像は用明天皇の病気回復を祈っておられる姿。16歳の像で柄香炉を手にしている。
曼荼羅に太子と大師風光る(聖徳太子曼荼羅)紫微
合掌の二歳は太子涅槃西風(聖徳太子二歳像)
孝養の太子の像や春の風(聖徳太子孝養像)
水鏡に映る御影やうららけし(聖徳太子・水鏡御影)
「法隆寺展」のチラシの左側に「増長天立像」右側に「持国天立像」(いずれも鎌倉時代の作・重文)が描がかれている。この二つの像は三経院西室に安置されている。その中央須弥檀の本尊として聖徳太子像と阿弥陀如来像がある。
春雷や一木造の増長天(増長天像)
百済観音像(後藤澄男筆)の前にたたずむ。観音菩薩像で百済観音として有名で、飛鳥後期の作。楠の一木造り、全身に彩色が施されている。宝珠形の頭光を頂く。八頭身の長身、美人でおわします。
春光を背ナに飛鳥の菩薩像(「百済観音」)
林功画伯の「散華」が目にとまった。散華とは法要で撒かれる蓮の花形をした紙である。「天女」と「羽を広げた鶴」が描かれていた。林功画伯は古画修復の第一人者として有名である。幾多の国宝と取り組み、国宝の修復・保存という国家的大事業に大きく貢献された。2000年11月4日、壁画研究の為、中国訪問中、西安で交通事故に遭われ、54歳で亡くなられた。
春浅し思いもかけず「散華」見る 悠々
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