2011年(平成23年)10月10日号

No.517

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安全地帯(336)

信濃 太郎


ヒマラヤ越え鶴の映像第一号の話


 登山家・医師の住吉仙也さんのヒマラヤの話を前号に続けて書く。住吉さんは世界に先駆けてヒマラヤ越えの鶴の撮影に成功している。

 1970年と言うから今から41年も前のこと。住吉さんは大阪大学ヒマラヤP−29登山隊(7871m・現在Harka Gurung Peak )に参加した。10月11日の朝8時半であった。高度5500mを行動中、渡り鳥を見る。昨年も見た。早速カメラのレンズを200mmに取り替える。静寂無音の中シャッターを何度も押す。ちらりと不安がかすめる。果して写っているか・・・。渡り鳥まで1000mの距離がある。現像するまで分からない。帰国後、確かに写っていた。これまで現地人や登山家が鶴を見たという話や記録はある。撮影に成功したのは住吉さんが初めてであった。山階鳥類研究所の拡大写真によって調べると「ソデグロツル」と分かった。このほかアネハツルもヒラマヤマ越えをする。いずれも越冬のためにモンスーンの終わった秋・10月上旬に北の方、シベリア・ロシアからインドに渡る。現在は1000羽しかいないとされている。日本には迷い子として稀に飛来するらしい。春の北への帰り路は分からない。春霞のせいかもしれないと住吉さんはいう。当時住吉さんが取った鶴の写真はNHK,海外メデアから引っ張りだこであった。

 鶴と言えば、私は万葉学者犬養孝さんが「万葉12ヵ月」(新潮文庫)に紹介した釧路湿原の丹頂鶴のことを思い浮かぶ。丹頂鶴の夫婦の仲の良さを物語る実話である。

 雌鶴が高圧線に触れて落ちた時,雄鶴はその死骸の周辺から離れず、見つけてやったつれあいの鶴にも見向きもせず、3年間、妻を呼んで鳴き続けた。余りのもかわいそうなので元の雌鶴の剥製にしたのを雪の上に置いたところそこから離れず、そのそばで夜を明かしたという。感心の他ない。

 住吉さんにとってP−29だけが「MY EXPEDITION」だったらしい。しかも登頂に至らなかったので近く出す『P−29』の本は『敗軍の将兵を語らず』で非売品とするという。住吉さんらしい。最近頂いた手紙の結びは「政治、経済、天候、人心など内外ともに奇妙な歪みを感じます。まことに不愉快なことです。健康、友こそ唯一の頼りとつくづく考えます」とあった。