安全地帯(316)
−安 本丹−
73年目の別れ「いざ、さらば」
東京杉並(当時は東京府豊多摩郡高井戸町)は筆者の故郷である。当時、わが母校高井戸第二尋常小学校は広い特産のウドや麦、陸稲の畑に囲まれ、雪が積もると畑を突っ切って通えるようなのどかな田園地帯に建っていた。生徒数約600名。みなみ500bぐらいに田んぼがあり、井の頭恩賜公園の湧水を水源とする神田上水が流れ、絶好のあそびばであり、腹の赤いイモリやフナやコイを捕まえたり、蛇に追いかけられたり、雪の上を学校の隣の墓場の卒塔婆を抜いてきてスキーをする罰あたりの悪戯もした。小学校卒業後、幸いにも戦争で大した空襲にも遭わず住民がみな残ったので卒業後比較的移動範囲が狭く、73年の長きにわたりほとんど毎年か隔年のように恩師(今百歳の方も)を囲み同期会を行ってきたが、いよいよ年貢の納め時、途中感じが亡くなり,お鉢が筆者に回ってきて、往年の悪戯っ子と美少女がお世話することになって以来,○○ちゃんも○○さんも85歳と年をとりいよいよ限界、別紙のような『お知らせ』と名簿を入れて残念ながら解散することにした。こんな別れもあるのかとご笑覧いただければ幸甚である。
(昭和12年3月卒業)各位
幹事 男子
幹事 女子
拝啓
早春の候、大震災の異常事態発生、お見舞い申し上げます。
さて、長い間ご厚誼のありました百年の伝統ある母校高井戸第二小学校の第34回生の同期会も仰げば尊し我が師の恩、夢はめぐりてはや73年、今回をもって最後の会合を開催する予定で幹事が相談する直前、東北・関東大震災が発生、日本人同志、多くのご不幸に遭われた方々のご心情をお察しし、また、交通機関の不通、停電、断水等未曾有の悪影響のうえ、老齢の身、ご本人やご家族で、幽明境を異にする方々、体調不良の方々も多数にのぼり、ご欠席も増えて来ました。思えば、机を並べ高二小の学び舎に集い立派な恩師のご教導により蛍雪の功、桜の大木、プラタナスの林、勉強堂の森、久我山田んぼ、懐かしい思い出を残し、奮闘努力それぞれ社会に大戦争を経て雄飛して参りましたが、諸般の情勢を考え、残念ながら今回の会合開催は到底不可能ですので前回の「こけしや」の会合をもって終了、名残惜しくも解散いたします。
よって、会の残金2万円余ありますので、通信費を除きしかるべき機関を通じ義援金として提出することに決めさせていただきました。独断ですがなにとぞ趣旨をお汲みいただきたいと存じます。
今後ともご連絡の出来る方々とのご交誼をされながらくれぐれも健康にご留意のうえ、余生を有効にかつ安らかにお過ごしくださるよう、幹事一同切に願い申し上げ、閉会の言葉といたします。
敬具
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