2010年(平成22年)8月20日号

No.477

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茶説

言わなくてもよいのにあえて言う菅首相
 

牧念人 悠々

 黒岩涙香が主幹した「万朝報」は名士の暴露記事で人気を得た。とかくやましい伊藤博文は毎朝まず第一「万朝報」を開いて苦笑し,彼の政敵大隈重信は「万朝報は愉快な新聞だ」と喜ぶのであった(三浦一郎著「世界史こぼれ話」角川文庫)。昨今の新聞は政権党に迎合する向きが少なくない。菅直人首相の日韓併合100年にあたり、だされた「首相談話」にしても「未来志向の日韓関係構築への決意を表明したもの」とし賛意を表する。終戦記念日の閣僚の靖国神社不参拝にしても評価する。「首相談話」は言わずもがなのことである。歴史の評価は歴史家に任せておけばよい。当時日本がおかれた世界情勢の中で日本がとった態度を後世の人が今の基準で判断すると間違いが起こりやすい。

 韓国併合についてルーズベルトは1908年「黙認」した。ルーズベルトは「力によって支配されている世界の中では、物事の自然な出処は“勢力圏“の概念の中に反映されている」と信じていた。彼の考えでは、日本と韓国との関係は両国の相対的な力により決定されるべきで、条約の規定により、あるいはまた国際法により決定されるべきものではなかったからであるという(ヘンリー・A・キッシンジャー著「外交」上・岡崎久彦監訳・日本経済新聞)。韓国に対する個人的感情を表明するのは何ら差し支えないが国にとしてその態度を表明するのはいらざることである。韓国との戦後処理の問題はすでに日韓請求権協定で解決済みである。

 菅内閣の閣僚たちの靖国神社不参拝日については8月16日の『銀座展望台』に次のように書いた。

▲終戦記念日の15日、菅直人内閣の閣僚全員が靖国神社を参拝せず。奇兵隊を作った高杉晋作は靖国神社にまつられている。「奇兵隊内閣」を自称するなら管首相一人でも靖国神社に参拝すべきであった。お国のために戦死した将兵がまつられているのに大臣が誰一人と参拝しないというのは異常である。

 東条英機大将らいわゆる”A級戦犯”がまつられているというが、東条大将らは占領下での東京裁判で裁かれたもので日本が独立後は「法務死」と処理されている。もともと靖国神社には犯罪人はまつられないのである。東条大将は「敗戦の責任は自分にある」と明言している。この認識が日本のマスコミにない。

 日本の今日の繁栄は戦争のために戦死した将兵のおかげである。そのことの認識がない首相らがこの国の政治を納めているとは情けない。世も末である・・・

 これ以上付け加える言葉はない。東京裁判を、パール判事の判決書をもっと勉強すべきであると私自身を含めてそう思う。