2010年(平成22年)6月1日号

No.469

銀座一丁目新聞

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花ある風景(384)

並木 徹

 井上ひさしの「ムサシ」を見る

 
 井上ひさし原作・蜷川幸雄演出の「ムサシ」を見る(5月25日・さいたま芸術劇場)。テーマは「恨みの鎖を絶ち切る」。宮本武蔵(藤原龍也)と佐々木小次郎(勝地涼)の巌流島決闘後日物語として展開する。夢幻の世界は井上ひさし演劇の絶骨頂である。いまさらながら惜しい人を亡くしたものだとの思いを深くする。
 幕開けは両者の決闘のシーン。船の中で櫂を削った木刀で小次郎を倒したあと武蔵は小次郎にまだ息が残っているのを知って立ち会いの細川家武士に手当てを頼んで去る。生き返った小次郎が恨みを晴らすため旅に出て苦心の末、決闘から6年後(元和4年=1618年=の夏)、鎌倉は佐助ヶ谷,源氏山宝連寺で武蔵を見つけ再度決闘を申し込む。井上さんの創作年表には武蔵について「勝つことがすべて」「戦略家になろうとした」「刀がすべてではない」「日常のあらゆる瞬間に危機を想定する」などと記されているという。
 宝連寺では寺開きの参籠禅が行われようとしていた。導師・大徳寺の沢庵宗彭(六平直政)、徳川家指南役・柳生宗矩(吉田鋼太郎)、寺の大檀那・木屋まい(白石加代子)と筆屋乙女(鈴木杏)、武蔵は寺の作事をつとめる。そこへ小次郎が出現する。今度こそは「五分と五分」の勝負をつけようという。再対決は「三日後の朝」と決められた。まいと乙女は親を無頼者に殺されたので仇討をしたいというので剣術を小次郎から教わる。そこへ無頼者の一味・浅川甚平衛(飯田邦博)、その弟・浅川官兵衛(堀文明)、師範代・只野有善(井面猛志)が寺に現れる。「今返り討ちにしてくれる」と言う浅川らをまい、乙女。その下男・忠助(塚本幸男)たちがかろうじて無念無想の一刀で打ち果たす。ここで乙女は悟る。「恨みの鎖を断ち切る」ということである。そうでないと恨みはいつまでも残ってゆく。そこで沢庵和尚らが武蔵と小次郎の対決を止めさせようとして、お互いの足を縛る二人三脚をしたり、五人のお互いの足を縛る5人6脚にしたりして気持ちを和ませるよう努力する。この場面はユニークでその所作に観客から笑いが起きる。
 劇中「歩き禅」が出てくる。初めて知った。重心を下に置いて足の裏の感覚を確かめながら歩くという。柳生新陰流の極意は1、眼、2、足、3、胆、4、力と聞いた。やっと「足」の意味の深さがわかった。この舞台に出てくる柳生宗矩は能狂いで新作「孝行狸」を謡う。カチカチ山の子狸は親を泥船で海へ沈められたが相手のウサギを恨まずに生きるという内容。井上さんらしい発想である。もちろん武蔵と小次郎の対決もなくなった。60余年の生涯を終えた宮本武蔵はその著書「五輪書」で「自分の生涯は『兵法の病』にとりつかれていた」と悔いているという。ムサシがなくなってから365年、地域戦争はたえず、テロは各所で頻発する有様である。いつの日にか「恨みの連鎖を断つ日」が来るのであろうか。