千葉県船橋の市立小学校で6年生の男子児童(12)が給食のパンでのどを詰まらせ窒息死した事件で「銀座展望台」(10月22日)で次のように書いた。『30年ほど前東京都内で老人がモチでのどを詰まらせ救急車を呼んだが、その前に家人が機転を利かして「電気掃除機」を口につっ込んでモチを吸い取って一命を取り留めた事例がある。
救急隊員の指示に従って介抱するのがよい。だがその前にやるべき応急処置を考えるのも大切である。「電気掃除機」の話は新聞のコラムで読んだ。新聞も丹念に読んでいると役に立つ。ゆめゆめ新聞をおろそかにしてはいけない』
電気掃除機を活用した正確な事例が分かった。昭和51年1月17日毎日新聞夕刊『赤でんわ』というコラムに載った記事である。今から32年も前の出来事である。―東京・杉並消防署阿佐ヶ谷救急隊に「64歳のおじいさんがノドにおモチを引っかけた」という119番。鈴木正三隊長(51)は内心『やっかいだぞ』と思いながら部下二人と救急車に乗り込んだ。こんな場合子供ならさかさにして背中を叩く。大人なら指を口に入れ、取り出すなどの方法があるが、なかなかうまくいかない。だが、その家について驚いた。すでにモチはノドからとれ、おじいさんの心臓はかすかだが動いている。酸素吸入器を口に当て病院に運び、一命をとりとめた。モチをノドからとったのは隣に住む歯科医師(58)であった。急を聞いて駆けつけ、指を口に入れ取り出そうとしたが、失敗。いざとなったら切開しかないと思い台所から包丁まで持ってこさせ用意した。そのときパッとひらめいたのが“吸引”という言葉。『そうだ、掃除機がある』と電気掃除機に先端が細くなった吸い口を取り付け、ノド奥深くに差し込んだ。“スイッチ・オン”。モチは狙い通りピッタンコと吸い口についてきた。鈴木隊長は『掃除機を使うと言っても一般の人では扱いが難しいが決め手がなかった“モチトリ”のヒントになったことは確かです』―
実はこのコラムの内容は牧内節男著『新聞記者入門』(みき書房)に紹介されている。このコラム自体、文句なく、社会面のトップで報道しても良い記事であった事例として新人記者のために論じられており、ノドがつまったとき電気掃除の活用を説いたものではない。
この事件で死んだ子供の親が学校側の監督責任について言及しているのは奇異に感じた。たとえ早食い競争の真似をしたとしても、他を責める前に己を責めよ。親の「食事のしつけ」ができていなかったのではないか。食事はまず食料を作ってくれた人達に感謝を捧げる意味で『いただきます』という。食事はあわてて食べるものではない。パンを二つわってふたつとも口に入れるものではない。ゆっくり味わっていただくものである。酷な言い方だがこの子供の食事のしつけができていない。明らかに親の責任である。もっとも私自身早飯食いで人には偉そうなことは言える筋合いではないが、すべてを他人のせいにはしない。今の親はどこかおかしい。
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