2008年(平成20年)10月10日号

No.410

銀座一丁目新聞

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安全地帯(228)

信濃 太郎

友人の絵「羽黒山五重塔」に感あり

 友人、渡辺瑞正君がグループ展を開くというので見に出かけた(9月30日・銀座の松島ギャラリー)。展示作品37点。渡辺君の作品は「羽黒山五重塔」(水彩・8F)。杉木立ちの中に仰ぐような形で黒々と五重塔が描かれている。人影はない。所在地は山形県鶴岡市。羽黒山神社参道沿いにある。今から400年前に最上義光によって修理、改修されたといわれている。高さ28.2メートルもある。
 しばらく渡辺君の絵の前にたたずむ。重厚にして枯淡の趣がある。立ち並ぶ古木の筆の運びは背筋をまっすぐにした渡辺君とその仲間たちの群像を思わせる。塔は径典を収めるものと聞く。その塔のあたりが一瞬光っているように見えた。彼の向学心はやむところを知らないようだ。この作品は4年ほど前の10月に友人たちと旅行をした時 、出来たものであった。手元にある「国宝・重要文化財案内」(毎日新聞)をみると「旧滝水寺の遺構と伝え、応安5年(1372年)の建立、3間5重塔婆、こけらぶきで和洋の本格的手法により塔は各重の軒返りが美しく、全体の容姿も安定感があり、老樹におおわれた環境に立ち、俗界を離れた清浄な気品を感じさせる」とある。羽黒山は月山、湯殿山とともに出羽三山といわれ修験道の霊場として知られる。636年の歴史を持つ。彼の絵ごころを刺激したとしても何ら不思議はない。
 芭蕉は元禄2年(1689年)6月3日(太陽暦7月19日)に羽黒山に登っている。4日本坊若王寺で俳句の連句の会を開き、発句を作る。「有難や雪をかほらす南谷」。5日に羽黒権現に参拝する。「当山開闢能徐大師はいずれの代の人と云事しらず」と「奥の細道」にある。渡辺君同様私の好奇心はつのる。ここに能徐大師(太子)にまつわる羽黒山開山伝説がある。能徐大師は崇峻天皇の皇子で蜂子皇子とも参弗理(みふり)の大臣とも言われる。生まれつき人間とは思えないような醜い顔であった。このため皇位につけず従兄弟の聖徳太子の勧めで修行者となり、諸国を行脚、たどりついたのが由良の八乙女洞窟であった。舞をして迎えた8人の乙女は羽黒山の神秘を教える。深い山を大鳥の案内で入ったところ、鳥が一本の杉に止まったまま動かなくなる。その木の下から観世音菩薩が現れたという。ここを最初の修行地と定めた。その地が阿久谷である。伝説はなおも続く・・・
 「羽黒山五重塔」の右隣の絵は永井英敏さんの「深秋」。並木道を老夫婦が静かに歩んでいる水彩画である。左は若泉久晃さんの「根岸の桜」。桜の花びらが大きく描かれており雄渾な感じがした。定年後の趣味の習作とは言え水準以上の出来栄えで、うらやましい限りである。「羽黒山五重塔」の絵が私に問う。「絵筆の運びに人生あり。汝の文章はいかに・・・・」