2008年(平成20年)7月1日号

No.400

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花ある風景(315)

並木 徹

「川口久男君の遺稿俳句」

 同期生、安木茂君から鳥取一中からの親友、川口久男君からの手紙・ハガキ、句集「旅のあかしに」を渡され「まとめてほしい」と頼まれた。「旅のあかしに」は、陸軍予科士官学校の区隊で一緒であった田中長君から見せていただいたので知っていた。川口君の俳句については本紙「花ある風景」(NO264・平成19年2月1日号)で紹介し、昨年の4月21日死去された時には本紙「追悼録」(NO278・平成19年6月10日号)で取り上げた。世に隠れたすばらしい俳人だと思っている。
 安木君に宛てた封書5通、ハガキ15通には折に触れて詠んだ俳句が書かれている。もちろん「旅のあかしに」と多少重複するものもあり、お母様の俳句もある。お母様は高浜虚子の弟子で「須箕女」の俳号を持つ(昭和36年5月6日死去、享年60歳)。
ひとたばの手紙・ハガキから川口君の俳句を紹介したい。
  獅子座流星群に寄せて
 凍てゝ待ついまはの星の輝きを
 天を裂きし流星痕は水面にも
 冬空に星降る夜を賜はりし(2000年元旦)
 
 宵山の更け月蝕の夜半となる
 永らくて平和に生きて大文字(2000年8月15日)
 
 落花舞ふと心にきざみ去る吉野
 代掻くや棚田の減るを嘆きつつ
 対岸と手話を交わして花下に笑む(2001年5月10日)
 (5月10日日付の手紙には「一中在校時に貴兄にお見せし母の句は次のようなものではなかったか」と母の作品二句を紹介する。
 結界にへだたり拝む寝釈迦かな
 帰したる後の侘しさ落ち葉掃く(昭和13年)
 
 二夜だけ鳴け去りゆきし木の葉づく
 群れ咲きて夜をひきよせし月見草
 涼やかに心に和む語りくち(2001年8月6日)
   (2002年7月12日付の手紙には高浜虚子の高弟で、豊岡藩主の14代当主に当たる京極杞陽さんの句が紹介されている。
 春風や但馬守は二等兵
 詩の如くちらりと人の炉辺に泣く
 春風や日本に源氏物語
 秋風や日本に源氏物語

 (この手紙には昭和29年秋、京極さん主宰する俳句雑誌「木兎」の巻頭句を飾った川口君の俳句5句があり、京極さんの句評まである)
 雪渓を天女と紛う雲よぎる
 ヤッホーと応ふるはひとか雪渓か
 雪汚れ峡谷蝉を鳴かしむる
 妖精と見しはキャンプの娘等踊る
 黒百合や月光蒼き黒部峡
 
 昭和29年、30年ごろの作品が9句ある。
 花野来るパントマイムの少女達
 かりがねとなり北の国旅したし
 銀杏散るテニス白熱銀杏散る
 和仏伏し仏和仰向き秋灯下
 行く秋の水車は野辺のオルゴール
 かこちゐるより春風に吹かれ来よ
 紀の国の此処にきはまり崖椿
 滝神に巫女はぬかづき空は紺
 春の雲ここに雪崩れて那智の滝
 (さらに手紙には小生の若いころの俳句の高揚期は29、30歳のころでしたが昭和30年後半にはもう俳句から離れましたとある)
 句集「旅のあかしに」に加えて遺稿句集を出したいと思っている。

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