画家、片岡珠子さん(1月16日死去・享年103歳)に付きまとう言葉は「好奇心」「ギラギラ」「たくましさ」「がむしゃら」などである。性格は男に近いように思える。明治38年、札幌生まれ。女子美術専門学校を卒業、小学校の先生をしながら絵を描く。院展初入選は25歳の時。昭和5年のことである。若き日の目標は「北海道の大地のような、でっかい、人が私の絵を見たら息が詰まるというような、そういう迫力の絵を描きたいと思った」(産経新聞)ということであった。そういえば15、6年前、関西で開かれた「日本画美術展」で片岡さんの真っ赤な富士山の絵を見たとき圧倒された思いがある。とっさに平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」の言葉を思いだした。内心に温かさ、穏やかさを秘めての表現が「赤」を生んだのであろうと推察した。画家としてここまで到達するには屈折した思いがあったであろう。「男どもを見返してやれ」と「反逆的」な気持ちがないとはいえないかもしれない。
好んで富士山を描いた横山大観は彼女より37歳も年長だが、こんなことを言っている。酒杯を右手の爪ではじきながら「この音が描けなければ一人前ではない」(朝日新聞「天声人語」)。「詩」も「ものを耳で聞いて書け」という。人間の思いは音として耳から入って心に響くものらしい。酒杯の音を詩にした人がいる。中国の干武陵である。「勧酒」という詩。
勧君金屈巵(君にすすむキンクツシ)注・金屈巵は柄のついた杯のこと
満酌不須辞(満酌辞するをもちいず)
花発多風雨(花開いて風雨多し)
人生足別離(人生、別離に足る)
これを作家の井伏鱒二さんが名訳した。
「この盃受けてくれ
どうぞなみなみと注がしておくれ
花に嵐の例えもあるぞ
「さよなら」だけが人生だ」(扇谷正造著「新・ビジネス金言集」青葉出版より)
歴史上の人物を描いた「面構」は60歳を過ぎた昭和40年以降の作品である。足利尊氏、豊臣秀吉、雪舟、葛飾北斎、日蓮、一休など。北斎などは富士を背景にして語りだしそうである。「日本人よ へこたれるな」と。「書くことは考えること生きること明日の日の出は六時八分」と己を励ました女性歌人がいた(鳥海昭子)。私には片岡さんの103歳まであと20年もある。書くことに専念しようと思う。
(柳 路夫) |