安全地帯(196)
−信濃 太郎−
「白バラの祈り」に寄せて
スポニチ時代の友人、木村隆君から高橋清裕演出・劇団民芸の「白バラの祈り」(10月12日から10月24日まで紀伊国屋サザンシアターで上演)のパンフレットを送ってきた。添えられた手紙には劇場で作家の澤地久枝さんと会ったと書かれていた。パンフには澤地さんと木村記者の対談が載っている。木村記者は日本の新聞記者の中で一番多くの日本で上演されるお芝居を見ている。スポニチでも演劇批評を書いているが、このパンフにも「シリーズ・この人に会いたい」を4年も連載している。
芝居の筋は第二次大戦中のドイツでナチスの暴政に反旗を翻したミューヘン大学の学生グループは「白バラ」と記された反戦ビラを配る。1943年2月ゾフィー・ショル(桜井明美)、その兄ハンス・ショル(みやざこ夏穂)らがゲシュタボに逮捕され5日後に「反逆準備及び敵側幇助」の罪名で死刑判決が出て斬首される。ゾフィー21歳、ハンス24歳であった。東西ドイツ統一後に発掘された資料から初めて「白バラ」の事実が明らかにされた。澤地さんの著書「1945年の少女」(文芸春秋・1989年11月刊)にもゾフィーのことが出ている。テレビ朝日が外国を舞台にドキュメンタリー番組を作る際、聞き役を務めた澤地さんの頭の中にはこの「白バラ」の学生たちがあった。ヨーロッパと日本の違いがあっても同じく侵略した側にいた少女だった人たちは
どんな戦中・戦後体験をしたのか。それを比べることでお互いの国の暦史とか社会の成熟度とか見えてくるのではないかという。大切な視点である。
ゾフィィは次のような言葉を残す。「一番恐ろしいのは、何とか生き延びようと流れに身を任せている何百万という人たちです。唯ただそっとしておいて欲しい、何か大きなものに自分たちの小さな幸せを壊されたくない、そう願って身を縮めて生きている、一見正直な人たちです。自分の影に怯え、自分の持っている力を発揮しようとしない人たち。波風を立て敵を作ることを恐れている人たち」(「白バラ」の暴くもの・鈴木道彦記)。聞くべき意見である。大衆というものはそういうものであろう。私は別に非難しようとは思わない。
鈴木道彦さんはまさに日本の現状に当てはまるだろうと指摘する。だから日本では表現の自由、思想の自由はどんなことがあっても守らなくてはいけない。昨今のインターネットの罵詈雑言はひどいものがある。国民の良識を信じるほかない。
1945年、私は軍国少年であった。陸軍士官学校の士官候補生であった。「七生報国」に燃えていた。反戦なんてひとかけらもなかった。戦後新聞記者となって表現・思想・報道の自由の大切さは痛感した。軍隊をもつことは賛成する。「国際紛争を解決する手段としては武力の行使は放棄する」精神は何としても改正憲法に残したいと思っている。戦後62年、戦中と同じく無様な死に方はしたくない。一ジャーナリストとして責任ある死に方をしたい。 |