今の子供たちは「親の恩は山より高く海より深い」などという言葉を知らないであろう。自分一人で大きくなったと思い込んでいる。親を敬う気持ちなど持ち合わせていない。「親孝行」は今や死語である。
論語に「孝弟は其れ仁の本なるか」とある。父母に尽くし目上を敬うことは人間愛という生き方の根本である。この当たり前の「孝行」を説く人がいなくなった。
9月に京都府京田辺市で16歳の少女が警官の父親(45)をオノで殺害(18日)、長野県辰野市で中3の少年(15)が無職の父親(44)を同じくオノで殺人未遂を犯す事件(24日)が重なった。警察は「手おので首を切るという犯行は異常。好きだったマンガやアニメなどから何らかの影響を受けていた可能性がある」という(産経新聞)。いまの若者のほとんどがマンガやアニメを見ている。とすると幾百件、幾百万件という事件が起きなければおかしいことになる。これは時折、映画やテレビの暴力シーンが青少年に悪影響があると問題にされるのと同じである。
普段はおとなしく、真面目である少年少女が「殺人の一線」を超えるのはなぜか。15,6歳は第2反抗期にあたる。些細なことで親につっかかってくる。自律の目覚めである。多くの子供はそれを無事に乗り越える。私の場合、寄宿舎生活で親に反抗しようにもそばに親はいなかった。当たり散らした対象は学校の先生であった。よく学校の先生と喧嘩した。一度は先生に殴られて、そのまま寄宿舎に帰ってしまった。オノを持ち出すようなことはなかった。「父母に孝に」だけでなく「三歩下がって師の影を踏まず」も骨にしみこんでいたからである。私たちの時代には「修身」「公民」があった。「身体髪皮膚受之父母不敢毀傷孝之始也」はよく覚えている。
「武士道」の著者新渡戸稲造はその本の序で日本の学校に宗教教育がないことを知って驚く外国人の「どうして道徳教育を授けるのですか」の質問に考えあぐねた末に「武士道」があることに気がついたと記す。戦後「修身」も「道徳教育」も一時なくなった。現在復活しているものの十分ではないようである。その端的な表れが今回の事件であろう。
学校で道徳を教えよ。論語、孟子を読ませよ。「武士道」に親しませよ。「親孝行」は当たり前のことだ。 |