2006年(平成18年)5月20日号

No.324

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茶説

教育基本法改正案は今国会で成立させよ

牧念人 悠々

 教育基本法改正を巡る新聞、世論を見ていると腹だだしくなる。毎日新聞の世論調査では、改正案を「今国会で成立させるべきだ」と答えた人が17パーセント。「今国会にこだわる必要がない」は66パーセントであった。これは恐らく教育基本法の制定時 の事情を知らないからであろう。基本法は憲法と同じくGHQが日本の軍国主義が二度と復活しないようにと押し付けたものであった。だから制定時日本案の原文にあった「愛国心の涵養」や「宗教的情操の涵養」「伝統を尊重し」などが削除さ れ、「教育は、不当な支配に服することなく」(第十条)が挿入された。今回「愛国心」という言葉は条文に盛り込まれなかったが、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに・・」という表現になった。民主党案では前文に「日本を愛する心を涵養し」と明記してある。11条しかない教育基本法はあくまでも教育の基本理念を示すものである。具体的な教育施策に関する法令はこれからである。イギリスではサッチャー首相が238条からなる大改革法を一挙に成立させて教育改革を成功させた。「子育て命令法」「公民教科」を新設し、実行したのを日本でも見習うべきである。今の日本の教育が、教育現場がよいとは誰も思っていまい。「改正の必要性と緊急性」は十二分にある。本来日本が独立した昭和28年4月に即刻憲法と教育基本法を改正すべであった。それから60年。今の日本の現状はどうなっているか。卑近なれを挙げれば、通勤電車の中を見るがよい。優先席で坐る若者。しかも平気でケイタイを使っている。化粧をする女性。日常見かける風景である。私は5月17日午後、JR中央線の高尾行き電車の優先席でケイタイを使っている若い男性を注意した。無作法な若者に注意する大人も少なくなった。これが昭和22年3月できた「教育基本法」の”精華”である。「個」を尊重しすぎた結果である。なんとも悲しい。
「教育を取り巻く課題は基本法が改正したからといって解決するわけではないだろう」(5月17日毎日新聞社説)という。日本の教育現場の荒廃の多くは愛国心の欠如にある。数学者藤原正彦さんは「祖国愛の欠如」と表現する。国を愛するということはその国の文化と伝統を愛することであり、国や国民の未来を思うことである。ここから「公に尽くす」考えが芽生えてくる。自分の生き方を考えることである。ここからは「義」「信」「仁」などの徳目が生まれてくる。戦後教育の中で日本人は世界の人々が賞賛した精神的な価値観をどこかへやってしまい、個人主義に走り、拝金主義に陥ってしまった。ここへきて新渡戸稲造の「武士道」が評価され、藤原正彦さんの「国家の品格」がベストセラーになるのは理由のないことではない。
 ともかく、教育基本法の改正はこの国会で成立を期すべき重要な課題であると思う。

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