作詞家、吉岡治さんの講演を聞く機会があった(3月7日・同台経済懇話会)。そこで感動的な「人生の歌」を知った。吉岡さんは2月。演劇「クラウディアからの手紙」をみた。実話に基づいたお芝居である。主人公、蜂谷弥三郎さんは敗戦を平壌で迎えスパイ容疑でソ連に連れて行かれ7年の刑期を終えたあとも帰国を許されずそのまま51年を過ごした。そこで同じような境遇にあるクラウディアさんと知り合い結婚。37年目に蜂谷さんは敗戦の時、生き別れた妻と子が健在であるのを知った。クラウディアさんは「人の不幸の上に自分の幸せを築くことは出来ない」と帰国を進める。クラウディアさんは知っていた。弥三郎さんが時々庭で日本語の歌を歌っていることを。その歌は「旅の夜風」(作詞・西條八十:作曲・万城目正)であった。この歌は昭和13年ヒットした映画「愛染かつら」の主題歌。蜂谷さんが妻久子さんと結ばれたのは京都の陸軍病院であった。久子さんは看護婦であり、蜂谷さんは患者であった。この歌は蜂谷さんにとって望郷の歌であり家族と結ぶ絆であった。「旅の夜風」は蜂谷さんの「人生の歌」であった。「愛の山河雲幾重 心ごころを隔てても 待てばくるくる愛染かつら やがて芽ををふく春が来る」(4番)。
吉岡さんの人生の歌は「大利根月夜」(作詞・藤田まさと作曲・長津義司)である。昭和17年5月、吉岡さんは父と樺太の港で聞いた。吉岡さん8歳の時であった。内地で生活できなくなった父に連れられて樺太にいった。炭坑夫の父は落盤事故のために働けなくなり日本に帰ることになった。傷心の二人の耳に聞こえてきたのがラジオから流れてくる田端義夫が唄う「大利根月夜」であった。歌はその人が置かれている環境、そのときの心情でどのようにも聞こえる。歌の文句よりメロディーが治少年には切なかったのであろう。
私の人生の歌は「無名戦士の歌」(作詞・作曲不祥)「艱難汝を玉となす その言の葉を一筋に 臥薪嘗胆十余年 今待望の時至る」(1番)「されど七生報国の 誓いは固く脈々と 無名の志士は相いうけて すめらみくにに尽くさなん」(7番)中学3年生の時、寄宿していた大連振東學社の舎監、太田誠さんから教わった。歌の文句が気に入った。音痴の私にも直ぐ覚えられた。私の志を決めた歌であった |