2005年(平成17年)8月1日号

No.295

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自省抄(36)

池上三重子

   6月25日(旧暦5月19日)土曜日 快晴

 ♪あぁりがたや有難や、と心に何となく歌が出て、ちっともそんな気分じゃないのに、と拒む。
 妙子先生の文字と文意に乱れを見ての衝撃がまだ元に戻っていない。先生の復調を私は信じられない事にしているらしい。
 寂寥感がつつむ。寂しさでは包みきれない寂寥びたりの心情よ。
 献体! 揺曳していた心が発意の頃に戻ったようだ。野田清子さんに私は嘘を書いた。数年前に九大から取ってもらった関係用紙が書棚整理のさい、行方不明になったと。
 自省抄に嘘は書けぬ。
 自省抄は良心よ。母の心よ。母のように叡知の人でありたいがそれは望まぬ。が、真っ正直でありたい、普遍的なものの見方、考え方のできる人間でありたいと切望するのだ。 母上よ!
 いよいよ献体意志ゆるがずになりました。昔むかしのそのむかし、連れ合いだった人を説得、別離の際の心境は「骨灰は海に」でしたが、今回の最終段階では献体におちつきました。
 久留米医大の解剖学教室見学は当時の同大講師渡辺敏助先生のお陰でした。先生の師・脇坂先生は、密林の聖者と称揚されていたシュヴァイッツァ博士のお手伝いをも兼ねておいででした。中には売名行為と受けとめる人もあったようですが、私は今も昔も「純粋にクリスチャンらしい信仰心」と結びつけて敬愛しています。
 人づてに聞けば、渡辺通りは渡辺家が地主だったところとか。私のリュウマチ股関節手術は先生主導でおこなわれ、先生は海外留学中のご自分の先生に教えを請うたうえでのメス。この手術では将来「立つことは絶対不可能、それでもいいか」の念押しでした。
 私は、この手術台上での麻酔薬や医療技術の齟齬による死を熱望、そのこころを匿しての入院であり死だったのです。
 お母さんは付き添って下さった。
 四人部屋の一隅のベッド脇、ようやく人ひとりが通れるほどの狭い空間に茣蓙を敷き、小鍋で大根の千本切りをイリコの煮汁でたき、私の食欲不振のお菜を分けての炊飯。お向かいベッドの水越さんは五十代半ばくらいか、買物はこの方と連れだってでしたね。
 後年、渡辺先生は開業したご自分の病院を閉じて自宅療養……その後の消息を知りたくて日赤勤務中の野田さん、当時は久保山姓だった清子さんに訊ねましたが遂の不明のお行方のままでした。
 献体の思いへの歳月の揺らぎは、地下のフォルマリン槽のなかに浮かぶ自分の相に耐えがたかったからです。
 今、私は微笑みをもって思うことができます。医学生に心ない様にとり扱われようと、それはその人らの倫理観や道徳観による人間像、問題外です。

 午後、『火山地帯』が届いた。
 贈って頂く唯一の書。島比呂志氏亡きあとも編集者のご厚意よ。ハンセン症に関心を抱き始めたのは、十三、四歳ではなかったか。初めて病名と症状の推移を知り、看護婦になろ! お医者さんになろ! あの感動を忘れない。
 秘めたままに高齢媼とは。
 母上よ! 佳き日の旅立ちはすでに四時半。
 今から読みにかかります。これも業の一つでしょうね。業は裏返せば希望。生への誘導であり楽天練り上げ材?
 夢見にお待ちしますね。さあさあ、読みの始まりはじまり!

   7月7日(旧暦6月3日)木曜日 からっとした晴

 野田清子さんと典孝ちゃん来室。今日は典孝ちゃん、音楽盤機器をもたずもっぱら清子さんのお供役。用件は献体の件。四月から改正になっているという。なかなか面倒な書類作りで、本人私の直々の言葉が必要と。世の中、信頼関係が希薄になっている証拠が痛感された。
 それだけに個人間の信頼がいかに尊い交流であるか、人間に与えられている輝くような美しい宝ものかを切実に納得させられたのだ。
 野田さんは今、精神障害の人の入院する病院勤務。患者を様付けで呼ばねばならぬという。窓口の対応なら当たり前だが、医務室に出入り自由の患者との会話に神経がまいりそうな気がする。辞めたくなることもあるだろう。が、勤める事で、看護の任の重さを重さとせぬ姿勢でやっていってこそ、生き甲斐も歓びも味わいも可能、と思ってしまう。
 若い学院二年生だった野田さん。三人のお子もつ母親となり、世相の変容を職場で発止と受け留めていかねばならぬ職業人よ。聴きつつ身を乗り出さんばかりの自分に気付く。 本に新聞雑誌に、そして何より人に育てられている私よ、これが私の人生の生なのだ。
 野田さん母子は、まだ小郡の家にお着きではあるまい。ありがたいご縁よ。勿体ない絆よ。白菊会員となるための書類必須のととのえ。今日の野田さんと私と、対お向こう大塚英二氏なる担当者との電話交流で、野田さんの用紙受領となるのだ。
 もう一度、九州大学のその担当者に会わねばならぬ野田さん、ありがとう。本当にありがとうございます。典孝ちゃんご苦労様でした、ごめんなさいね。
 今日は七夕。陰暦の七夕は天候がおちつき空には天の川、年に一度の逢瀬の「いんかいさん」と「たなばたさん」……でも今日は太陽暦の七夕ゆえ、まだ酸漿も庭に熟れてはいまい。
 寮母の内村孝子さんが遅出の勤務でよかった。好感する私の来客たちは、そのまま利用者の信頼感と親愛の情といえよう。ありがたいなあ。
 母上よ! このような時々刻々が暢びやかに矢のように過ぎて早や六時前十五分です。では夢見にお待ち申します。そうそう、寝ぼけて今暁、わが鼾をお母さんあなたの寝息と聞いて目覚めたのですよ、おかしいですね。これが私の現状です。



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