<風薫る南無阿弥陀仏殺意消ゆ> 悠々
告白する。77才になって初めて「殺意」を抱く。「仏のまき」と言われた男である。責任を感ぜず、策を弄してその座にしがみつく男が許せなかった。われながら血の気が多すぎるのに驚く。77にして則をこえそうになった。
周りの男たちは何も文句を言わない。はたから見ているとそれが当然だといわんばかりである。あきらめているのかもしれない。体制順応型である。それがサラリーマン(重役)というのかとも思う。不条理が行われているのに何も感じない。人の道である「義」を考えないのか。といいたくなる。
いってきかないものなら殺るしかない。方法は刃物で心臓を一刺しである。そのあと、古式に則り腹を切る。夢の中でそのような状況が出てきた。心理学者ユングによると、殺しの夢は人が自立を図る時、見るものだという。私にも一つの転機がきているのかもしれない。
新渡戸稲造はその著「武士道」でいう。「義は武士の掟中最も厳格なる教訓であった。武士にとりて卑怯な行動、曲りたる振る舞いほど忌むべきものはない」相手は武士ではない。もののふと遇するに値しない。己を納得させ、心を静める。林子平曰く「義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり、死すべき場合に死し、討つべき場合に討つことなり」
とはいっても、「風蕭々として易水寒し・・・」と歌った荊卿の心境にはなれない。
「殺意」は一瞬のものかと思っていたが意外と長くつづく。怖い。不完全燃焼しているようで、気分がイライラし怒りっぽくなる。書棚にあった柳宗悦著「南無阿弥陀仏」(岩波文庫)を読んでいたらいつの間にか「殺意」が消えてなくなっていた。「吹く風はどんな嵐でも柳の如く受けて流さん。事はどんな難事でも泰山の如く悠然と処理せん」といった心境に立ち至った。凡人ゆえやはり極楽浄土へいきたい。
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