静かなる日々 ─
わが老々介護日誌─
(5)
星 瑠璃子
5月28日
薄皮を剥ぐように、母は少しづつ快方へ向かっている。一日に一回、わずか三十分でも車椅子に乗せてもらえるようになって、気分的にもずいぶん楽になった。
この日はリハビリ第一日目だった。私が行ったときはもう終わってしまったあとで、どこでどんな「運動」をしたのか、当人に聞いてもちっとも分からない。ついさっきのことを忘れてしまう。
けれども他のことでは頭はだいぶしっかりしてきて、お見舞いに来て下さった方について適切な寸評を加えたりする。私が着ていくものなどもよく見ていて、油断がならない。きれいな色ね、よく似合うわ、とほめてくれるときはいいが、この間はデニムの野球帽をかぶって行ったら「かわいい牛乳屋さん」と言われてしまった。
朝夕の病院帰り、ケンちゃん(愛犬)の散歩をかねて、隣接する国有林に忍び込んで歩く。タラノキ、ネムノキ、ミズキ、シラカシ、カエデ、コブシ……。うっそうと繁るにまかせた踏み分け道の木々の切れ目に、そこにだけ明るく光のさしている様は、まるで印象派の絵のようだ。
見上げると、丈高く枝を拡げた梢の先に幾千の青い空がチラチラと動く。足もとの草むらにはヘビイチゴの小さな赤い点々。ひんやりとした風が吹き抜けると、木々は一斉にひそやかな歓声を上げる。幹に掌をあてると、息づかいが伝わってくる。ああ、一日も早くこの美しい森のなかに母を連れてきてあげたい。入院前の毎日がそうだったように、大好きな森の中で母がスケッチブックを広げる日がいつかまた来るのだろうか。
5月29日
朝、母がとても元気そうだったので、午後は病院へ行く前に「シルバーヴィラ向山」と「アプランドル向山」を見学。オーナーの岩城さんは新設した特養ホームの方へ移られたとかで、この日は内部のみ見せていただく。
「シルバーヴィラ」は寝たきり老人や痴呆老人(ここでは「お分かりにならない方」と呼ぶ)向け、「アプランドル」の方は自立した高齢者向けの同系列の有料老人ホームである。西武池袋線豊島園の裏手、閑静な住宅街の一角に道をはさんで二つの建物があった。
どちらも「長期滞在型ホテル」と呼ばれる二棟は、中へ入ると何気ない爽やかさがいっそう身近に感じられる建物。豪華な施設ということになれば他にいくらもあろうが、ここはそれとは違う。よくある機能一点張りというのともはっきり一線を画していて、それはなんといったらいいのか、人間の暮らしというものを深く考えたことのあるひとだけに発想できるような、明るさに満ちた不思議な空間であった。中庭を囲んで大きく窓が開き、どこにいても木々のざわめきや風のそよぎが感じられる。土の匂いがする。
折しも「お習字の時間」で、食堂兼ロビーには学校帰りの小学生達が集まっていた。中庭のプールとともに近所の子どもたちに無料で開放しているのだそうだが、走り回っているこどもや大声で叫んでいる子がいる。それでいてちっとも騒がしくなく、いかにも生き生きと暮らす地域共同体とでもいう感じがあって、感心してしまった。老人ホームといえば、老人だけが集まって暮らしているとばかり思っていたのだが、こんな型破りな「ホーム」もあるのだった。1981年開設。この手の施設の草分けという。
居室はすべてが床暖房の個室で、トイレ、テレビ、冷凍冷蔵庫、エアコン、緊急電話付きのホテル仕様。入居者は「様」付きで呼ばれているが、とりすました雰囲気はない。 「アプランドル」の方の内部も見せてもらった。「こちらは特別」とのことでお邪魔したワンルームはいとも優美に整えられ、「ピアノが入らなかったのだけが残念だったのよ」と部屋の主が華やかに笑って言う。
そのピアノを「持ちこんじゃった」人もいて、その名を聞いてびっくり、わが大先輩、モンゴル学者の礒野富士子さんであった。ご主人の法律学者磯野誠一氏は痴呆が進んで、お向かいの「シルバーヴィラ」の方に入っておられるという。
母はともかく、私もいつかはこういうところで暮らすことがあるのだろうか。ここなら暮らせるかな、とは思うものの、実感は少しもわかない。楽しそうに、あるいは何も分からなくなって悲しそうに佇んでいる人も、はじめはみんなそうだったのだろうか。
むかし、カルカッタで、「死を待つ家」というものを訪ねたことがあった。マザー・テレサの営む「孤児たちの家」のそばにそれはあったが、天井の扇風機が熱い空気をゆっくりとかきまわしている大部屋に、上半身裸の男たちが五、六十人、ずらりと並んで寝ていた。入っていくと一斉にこちらを見たが、その大きな目はこちらを見ていながら見ていない。どこか遠くを、あるいは何か深いものをみつめているような目だった。そんな光景も思い出した。人はだれでも確実に老い、死んで行く。そして、自分がどういうところで死んで行くのかを選ぶ時代になった。
5月30日
今朝の母はとても食欲があり、大丈夫かしらと心配になるほどよく食べた。が、その後すぐに気持ちが悪くなってしまう。食後に気分の悪くなることは多く、これは家にいるときから時々あることだったが、看護婦さんは気にもとめない。
午後、姪の佳子が訪ねてくれ、三時過ぎに一緒に病院へ着いた。ところがベッドに母がいない。一瞬ぎょっとする。と、遠くから朗らかな笑い声が聞こえてきた。声を辿って行くと、そこは広々としたリハビリ室だった。初めての「立つ」練習の日だそうで、「立って、立って
! 」と励まされながら平行棒に両側を支えられて、一瞬ひょろっと立ち上がったところだった。すぐにへなへなと座ってしまったけれど、その瞬間に居合わせた。
「立てたわねえ! 」
と、思わず駆け寄ると、
「立てますよ、腰抜けじゃない」
と母は澄まして答えた。
抜糸も終わり、今日は記念すべき日となった。冷たい紅茶でカンパイをする。 |