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「鳩の翼」 大竹 洋子
1997年/イギリス映画/シネマスコープ/ドルビーステレオ/101分 アメリカに生まれ、イギリスで暮らした作家ヘンリー・ジェイムズの、同名の小説の映画化である。ジェイムズの原作による映画は、「女相続人」や「回転」など何本かみているが、フランソワ・トリュフォー監督の「緑色の部屋」が、私には印象が深い。フランスの地方の町の雑誌社で、死亡欄を担当している男の物語だった。死者にしか関心がもてない主人公の暗い情熱が、そくそくと伝わってきたものである。 「鳩の翼」は二人の女性と一人の男性の物語で、やはり死の匂いが冒頭から漂っている。1910年、ロンドン。ヒロインのケイトは母の死後、上流階級の伯母に引き取られた。彼女には新聞記者の恋人マートンがいるが、伯母が望む貴族の青年と結婚さえすれば、このまま安楽な一生を送ることができる。しかし伯母にさからえば、自分はもとより、人生から落ちこぼれてしまった貧しい父をも、見殺しにすることになるのだ。ケイトとマートンの、暗雲がたちこめるような逢い引きがつづく。 彼らの前にもう一人のヒロイン、ミリーが登場する。巨万の富をもつ孤児で、天使のように清らかなアメリカ娘のミリーは、不治の病におかされている。ケイトとミリーは、互いの中に自分にはないものをみつけて惹かれあう。そしてミリーが、ケイトの恋人とは知らずにマートンに恋したことから、崖っぷちを歩くような危険をはらんだ三角関係が生まれる。ケイトはマートンをミリーに近づけ、ミリーが死んだら、その遺産でマートンと結婚しようと企んだのだ。 舞台はロンドンからヴェニスへと移る。この映画のヴェニスは、これまでのどの画面の中のヴェニスより魅力的である。カメラ、美術、衣裳の力によるものであろう。ヴェニスに行きたいと、私は映画をみながらしきりに思った。三人の恋は、水の都でそれぞれの思惑をはらみながら展開する。 文豪が書いた小説の映画化だから、どうも原作がよほど大切とみえ、パンフレットには文学と映画の違いについて多くの人が触れている。だが私は原作を読んでいない。白紙の状態で映画をみた私には、三人の主人公たちの想いや行動はごく普通で、それなりに理解ができる。 しかし、小説のケイトはもっと理性がかっていて、悪意にみちてミリーをおとしめるらしい。そして恋人の愛は失うが、ミリーの莫大な遺産はちゃんと手にいれる。一方、映画のケイトは、自分がそう仕向けたにもかかわらず、ミリーとマートンの仲むつまじい姿に嫉妬する。そして最後には、恋人も遺産も失うことになる。映画のケイトのほうが、人間的でよいというのである。 ケイトを演じるヘレナ・ボナム・カーターは、各国の批評家たちから絶賛され、主演女優賞をいくつも受けた。しかしその役作りは、原作のケイトに引きずられているように思える。ミリー役のアリソン・エリオットは、「この森で天使はバスを降りた」に主演していたが、大金持ちの薄幸な“天使”より、アメリカの田舎で懸命に生きた“天使”のほうが似合っている。私にはマートン役のライナス・ローチが、誠実ではあるが優柔不断な男をよく演じていたと思える。物語が進むにつれて、どんどんハンサムになってゆくところなど、とてもよいではないか。 ケイトを真に愛しながらも、ミリーの純粋さを忘れかねたマートンは、亡きミリーとの思い出を確かめようと再びヴェニスに赴く。ケイトにはそれをとめることができない。なぜなら、永遠の愛というものは、死者と生者との間でも、深く結びつくことが可能だということを、ケイトが知っているからである。 渋谷Bunkamura ル・シネマで上映中 このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。 |