2001年(平成13年)11月10日号

No.161

銀座一丁目新聞

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追悼録(76)

 テレビ・ドキュメンタリードラマ 、高橋克典・小泉今日子の「魂の百年物語 武士道を行く」をみた(10月27日)。番組はベストセラー「武士道」の著者、新渡戸稲造の生涯を追う。若者が義務を忘れ、社会に尽くす意識が少なくなった昨今、深く考えさせられた。新渡戸の一生は「われ日米の架け橋とならん」という夢を実現する旅であった。10歳の時、東京英語学校に学ぶのも、15歳で札幌農学校へ入学するのも、23歳でアメリカのボルチモアに留学するのもそのためであった。勉学をすすめた母親せきの存在が見逃せない。つねづね新渡戸に「えらい人になれ」とはげましたという。
 札幌農学校では2期生で、内村鑑三(宗教家)、宮部金吾(植物学の世界的権威)、らと一緒であった。この学校ではクラーク博士の強い要請で聖書が日本の学校ではじめてテキストして使われている。クラークが明治10年4月、帰国前に「イエスを信ずる者の誓約」を起草して学生に示したところ、新渡戸、内村ら計31名が入信した。
 特筆すべきはメリー・R・エルキントンさん(29歳)との国際結婚であろう。1891年(明治24年)のことである。メリーさんは「運命の出会いを感じた」というが、両親は大反対した。8年後に不朽の名作「武士道」を英文で発表する。その「武士道」をアメリカの各州で講演する。そのつど、メリーさんは同行する。新渡戸にとって文字通りベターハーフであった。読書家で知られるアメリカの26代大統領、セオドア・ローズヴェルトがこの「武士道」を読んで感銘を受け数十冊も買って、友人たちに勧めたのは有名な話である。ローズヴェルトは日露戦争の講和会議(1905)の際、日本のために尽くしてくれた。これも金子堅太郎の働きがあったにしても、ローズヴェルトに「武士道」が日本の好印象を与えた事はまちがいあるまい。満州事変が起こり(1931年9月)、日米関係が悪化後、対日感情を和らげるため、新渡戸は100回にわたる講演をつづける。メリーさんも一緒であった。この時、17歳で、車を運転した甥のエルキントンさんは健在(86歳)で、「70歳になる叔父は300マイルこえる講演をこなしました」と話す。
アメリカ滞在中、豪胆不屈の人物を多くだしたクエーカー教に出会い、はじめて武士道の魂とキリスト教の魂が触れ合ったという。案内役の高橋克典さんが「武士道は大和魂一点張りと思っていたが違うのですね」という言葉は印象的である。榊原英資さんも解説していた。「武士道の説く徳目は日本の特殊的なものではなく、世界に通用する普遍的なものである」。だから新渡戸の「武士道」はベストセラーをつづけているのであろう。
 新渡戸は武士道のうち一番「義」を重視したようである。武士の掟中最も厳格なる教訓であるとして取り上げている。私の座右の書でもある。新渡戸は1933年(昭和8年)10月16日、バンクーバーで客死する。享年72歳であった。

(柳 路夫)

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