花ある風景(75)
並木 徹
ブラジル皇居勤労奉仕団26名が10月16日から19日まで皇居の清掃に従事した。38歳から70歳までの男女13名づつである。団長は小原彰さん(61歳)。この人は前ブラジル連邦陸軍少将で、日系二世ではじめて将軍になった。天皇、皇后両陛下が1997年6月サンパウロを訪問された際、師団長で両陛下の警護の責任者であった。陛下は小原さんが奉仕団をつれて皇居を清掃しているときかれ、わざわざお出ましになり、小原さんに当時の礼を述べられ、気さくに握手をされたという。
陛下は皇太子時代の1978年7月、ブラジル移民70周年の際にも、サンパウロを訪問されている。私もこの時、毎日新聞主催の記念シンポジュウムを開くため、同地へおもむいた。その時の取材メモによると、ブラジルに国会議員に日系が5人もおり、サンパウロ市には日系の市会議員が3人(定員22人)いた。二世の外科医の自宅に招待されてびっくりした。プールがあるのはもちろんだが、地下室に年代ものの各種のワインが5000本もあったことである。興味深かったのは、同化のスピードである。1937年(昭和12年)イタリア系移民50年祭の時の記録ではサンパウロ市内にイタリア団体31、定期刊行物21があったが、その後40年たってみると、すべてなくなっていたという。日系人の同化も急速でスムースであるといっていた。だから、小原さんのように、日系の将軍が現れても何ら不思議ではない。
パネリストとして、小松左京さんがきていた。その時の話では、目下続「日本沈没」の構想をもっているが、「日本沈没」を書く前にブラジルを知っておれば、沈没前、日本人をブラジルに逃がしたであろう。続「日本沈没」には必ずブラジルのことにふれるということであった。小松さんはよほどブラジルのことが気に入ったようだった。ちなみにブラジルの面積は851万965キロメートルで日本の23倍にあたる。
このメモには、ブラジルは国際化の実験の具体例であり、21世紀に生きる人類の生きざまの芽があるとしるされている。国民のほとんどが移民である。イタリア系は山の中腹や山間部に入り、葡萄を植え、ワインをつくった。ドイツ系は南リオをはじめ各地で皮革工業、機械工業、繊維工業、ガラス工業、陶磁器の分野に進出した。シリア・レバノン系は商業に精を出した。それぞれの国の特色を生かしてブラジルに溶け込んだのである。シンポジュウムで基調報告をされた梅棹忠夫さんが70万に達した日本移民が新世界の形成に参加すると謳い上げたのを思い出す。時代は激動する。話を聞いてから20数年、ブラジルは様変わりした。ここ数年、ブラジルでの生活が苦しく、日本に出稼ぎにくる日系二世、三世が現在では25万人の多きに達する。しかも子供たちが十分な教育を受けられない状況にあるという。せっかく新世界形成のために参加した日本移民だから、いささかもめげず、誇りを持って苦難を打開してほしい。母国日本もそれなりのお手伝いをしたい。 |