2001年(平成13年)7月20日号

No.150

銀座一丁目新聞

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追悼録(65)

 田中 角栄元首相(平成5年12月、死去、享年75歳)は異能の政治家だと思う。頭の回転が速く、商才があり、決断力があり、とりわけ、金脈を探り出す能力が抜群であった。このような人物は東大法学部から生まれてこない。
 社会部記者からみると、金の力で政治と官僚を操り、政治腐敗を深めた男としか映らない。とりわけ、役人が金に汚くなったのは田中が大臣になってからだといわれている。盆暮れには局長クラスにかなりの現金を贈ったといわれる。この贈り物を拒否した局長を左遷したという。田中の評価には毀誉褒貶が多いが、憎めない人物だとしても良い印象は持てない。
 夏になると、ロッキード事件を思い出す。戦後最大の疑獄であるこの事件は7月27日(昭和51年)田中元首相の逮捕で大きな山場を迎える。この日の毎日新聞は一面トップで報じた。
  
   「ピーナッツ 時効に二週間
     検察、重大決意へ」
   「高官逮捕は目前
     五億円の流れ突きとめる」

 前夜この記事のゲラを見て帰宅した。いまでもこの記事は田中逮捕を示唆したものと信じられている。ここだけの話だが、担当の記者は検察庁の雰囲気から明日「なにかある」とつかんだ。幹部のところへ夜討ちして、ますますその感触を得た。正直なところ、田中逮捕までは知らなかった。26日の夜、「上中里を気をつけよ」という匿名の電話があった。上中里は田中の秘書、榎本敏夫が住んでいる場所である。そこで、高官逮捕を確信するにいたった。あとで聞いた話では紙面に田中の名前があったら、その日の逮捕を見送るはずであったという。田中の名前こそなかったにしても、この記事はロッキード事件の捜査の流れを的確に掴み、検察の動きを報道したものである。その意味では特種といえる。
 ここで、ロッキード事件謀略説にふれたい。前から疑問を持っていた謀略説はやはり間違いだったようである。謀略説は田中のエネルギー政策と関連する。田中は中東政策を親アラブに転換させたり、日の丸原油の取得外交を展開したりして、日本独自のエネルギー政策をとろうとした。これがいたく、アメリカの石油メジャーを刺激した。このため、ロ社の極秘資料を、米上院外交委多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)に誤配し、田中首相を失脚させようとしたというのである。
 この誤配が謀略説の最大の根拠だが、実際はその誤配がなかったというのである。文芸春秋8月号によれば、ロッキード社は監査法人であるアーサー・ヤング会計事務所に資料(日本での秘密工作が書いてあるもの)は絶対に第三者に渡すなと厳命していた。一方、上院議会から資料を提出するように召喚状がきた。立場に困った会計事務所では、しかたなく、顧問弁護士に資料をチャーチ委員会の主席法律顧問のもとへ運び、ロ社には謝罪し、運んだ弁護士を強く非難し事を収めたのだという。「われわれの資料は真相を究明するためロ社から正規の手順で入手したものだ。田中を追い落とす陰謀などなかったと断言出来る」と関係者は言っている。これは特種である。文芸春秋は田中首相の金脈を徹底的に追及した伝統を持つ。見事というほかない。
 毎日新聞から出た「20世紀事件史・歴史の現場」にも「謀略説」が取り上げられている。「説」だから事実ではない。あくまで推論であるといえば、それまでだが、「歴史の現場」という以上、限りなく真実を展開してほしかった。文芸春秋のこの記事で、ロ事件「謀略説」はもろくもついえた。25年経過して初めて判る事実に深い感動にとらわれる。

(柳 路夫)

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