2001年(平成13年)7月1日号

No.148

銀座一丁目新聞

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追悼録(63)

 日本財団理事長、笹川 陽平さんがWHO(世界保健機構)の54回総会(5月16日・ジュネーブで開催)でハンセン病制圧特別大使に任命された。2005年までにハンセン病制圧のためにラストスパートをかけようというわけである。
 ハンセン病といえば、陽平さんの父、笹川 良一さんを思い出す。良一さんは子供時代、近所の家の美しい娘さんが、身内にハンセン病患者がでたため、好きな人と結婚できず行方不明になる事件が起きた。この体験からハンセン病に関心をもち、撲滅を考えるようになった。1961年(昭和36年)、ハンセン病予防ワクチンの試薬ができると、日本人の接種第一号となった。1974年(昭和47年)には笹川記念保健協力財団をつくり、ワクチンの改良をめざした。
 それだけではない。日本、外国をとわず、できるだけハンセン病院を慰問した。患者と握手をかわしたり、一緒に食事までした。今から20数年も前のはなしである。ハンセン病に対する差別、偏見があり、社会的に隔離されるべき対象とかんがえられていたときである。
 今なお、笹川 良一さんを悪意のある目で見る人が多い。この事実をどうみるか。
 『道徳を説く人を見習うな、実行する人を見習え』という。笹川 良一さんは敗戦直後国民が食うに困っているとき、BC級戦犯の遺族の支援をしている。誰もができることではない。
 『世のため、人のために尽くす』が笹川良一さんの基本的な考え方だという。私は笹川良一さんを誰もできなかったことをいち早く実行した人物として尊敬する。
 制圧とは各国において一万人に一人以下の患者数になることをさす。現在未達成国はインド、ネパール、ブラジル、マダカスカル、モザンピーク、ミャンマーである。笹川陽平特別大使の活躍を期待する。
 笹川 良一さんは1995年(平成7年)7月18日、96歳で死去した。

(柳 路夫)

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