2001年(平成13年)5月10日号

No.143

銀座一丁目新聞

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お耳を拝借(12)

-ちょっとだけ言わせて

芹澤 かずこ

 

 休日の車内は親子連れが多い。親子といっても大方は母と子であり、何組かのグループというのもあって、なかなかに賑わしい。中には賑やかを通り越して、うるさいのもあるけれど、子供が叱られているのや、泣いているのよりは、元気のある方が見ていて気持ちがよい。
 先日出会ったのは、遊園地にでも行くのか水筒を下げた小学生ぐらいの女の子と、4、5歳ぐらいの妹、それにお母さんとおばあちゃんの4人連れ。まだホームにいる時から妹の方がなにやら叱られていた。
 「そんな厭な顔をして、行きたくないなら一人で家に帰りなさい!」 
 一人で帰れるはずもないし、置いて行けるはずもないのに、こうゆう時に母親がよく口にするセリフである。言うなれば脅しにほかならない。子供がどんなにか心細い思いをしたり、傷つくかもしれないのに、その傷をえぐるようなキツイことを言ってしまう。
 いつものことなのか、目鼻立ちの整ったお姉ちゃんの方は知らん顔をしている。おばあちゃんもチラチラと母親の様子を窺うが、こちらも口を挟まない。
 お母さんは上の子にいろいろと話しかける。無視された下の子は何も言わずに目をむいている。お姉ちゃんに比べて、ちょっと目鼻立ちの並びが悪い。目をむくと更に器量が落ちてしまう。母親は余計に怖い顔をする。こんな小さな子を相手にしたって始まらないのにと、見ているこちらが辛くなってしまうが、よく見かける情景である。

 そうかと思うと、小さい子をいつまでも泣かしている親がいる。それも子供の要求をちっとも聞かないで、 ただ、ただ
 「泣き止みなさい!」の一点張り。
 しゃくり上げながら何事か訴えたくて袖を引くのを、うるさい!とばかり振り払う。ますます大きく泣く。子供の要求をむやみに呑むのもどうかと思うが、何の理由もなく泣き喚く子もいないはずである。眠いとか、暑いとか、気分が悪いとか、親が約束を守らないとか、なにかしら理由があると思う。
子供は得てして親の都合に合わせて行動させられている。大人なら我慢できることでも、子供はそうはいかない。厭なものは厭と正直で、それでこそ子供である。大人の顔色を窺がうなんて出来ないし、もし、いつも窺がっているとしたら、とてつもなく不幸なことである。
 親は自分の我を通して満足かもしれないが、同じ電車に乗り合わせた人たちにとっては、この上ない迷惑な話である。

 過日、孫を連れて埼京線に乗った時、私と娘が話をしていると、4歳になる孫が口を尖らせて言った。
 「ママとおばあちゃん、お話をしないで!」
 「あら、どうして? 長く乗っていくのだから楽しくお話して行きましょう・・・」
 娘の答えにハッとした。孫を真中に並んで坐っていても、私と娘の会話は孫の頭の上を素通りしている。これでは一緒にいても楽しいはずがない。このことをついつい大人は忘れている。
 この時、孫も先の女の子のように、何も言わずに只、目をむいているだけだったら、
 「変な子ねえ・・・」
 だけで片付けてしまったかも知れない。
 自分の思ったことを素直に言える、また人の話に耳を傾けられる、このような何気ない、けれど本当は大事な相互関係を小さい時から育んでいけたらいいと思う。



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