2000年(平成12年)7月10日号

No.113

銀座一丁目新聞

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追悼録(28)

 中学時代の友人の通夜の帰り、一緒にコーヒーを飲んだ宇治原 淑隆君から「『心の力』を探してくれないか」と頼まれた。「いまごろ何故『心の力』を・・・』と疑問に思ったが、口にださず、引き受けえた。『心の力』は中学の3年のとき、担任の大井 芳雄先生(のち大連高商教授)から「これを読んで心を養え」と渡されたパンフレットである。当時は一生懸命に暗記し勇気づけられた記憶がある。
 早速パソコンで『心の力』を検索すると、成蹊小のホームページの中に『心力歌』(心の力)があった。『天高うして日月懸かり・・・』昔、暗記した文句である。成蹊学園に電話して『心力歌講話』のパンフレットと『心の力』のしおりを送っていただいた。これを宇治原君におくった。数日して、宇治原君から「実は『心の力』は大井先生に頼まれたのだ。先生は今寝たきりで大変喜んでおられたということだ」と電話があった。
 その大井先生は6月27日朝、なくなられた。享年88歳であった。30日の告別式の日、夫人の龍江さんにお悔やみをのべると、「主人はあの『心の力』をいただいて涙を流しておりました。棺に心の力のしおりを収めました」と話された。
 大連二中の恩師大井先生は17回生を担当、地理を教えられた。第二次大戦の末期に応召、終戦時にシベリアに2年抑留後、復員された。戦後、教職に復帰、都立高校の校長などをされた。特に定時制高校の整備に力を尽くされたと聞く。17回生に会合によく出席され、前向きに生きることを身をもってしめされた。
『 心の力』は法華経研究の第一人者、小林 一郎先生の書かれたものである。成蹊学園の校長であった中村 春二先生が『教育の基本は宗教と同じく「信」だ』との考えから『心の力』を生徒たちにすすめられたようである。
第一章を紹介する。

心力歌 (心の力)
第一章
天高うして日月懸かり、地厚うして山河横はる。日月の精、山河の霊、あつまりて我が心に在り。高き天と、厚き地と、人と対して三となる。人無くしてそれ何の天ぞ。人無くしてそれ何の地ぞ。人の心の霊なるや、もって鬼神を動かすべし。人の心の妙なるや、もって天地に参ずべし。 たるかの月と日と、遙かに我が心を照らす。我が心の凝りて動くや、よく日月を貫くべし。峨々たる山、漫々たる河、常に我が心に通ふ。我が心の遠く翔るや、よく山河を包むべし。ただ六尺の肉身に限らるる、我が心ならず。ただ五十年の生涯に、つきぬべき我が心ならず。 見よ、雲に色あり、花に香あり、聞け風に音あり、鳥にこえあり。この中に生を託したる、われ人にこの心あり。至大至剛はこれ心力、至玄至妙はこれ心霊。ただこの心あるが故に、われ人は至上至尊なり。それ眼前の小天地は、離合聚散常ならず。我と我が身と心とを、この中にのみ限るものは。 天なる日月の精を見ず、地なる山河の霊を知らず。その精と霊とを鐘めたる、わが尊さをわれと悟らず。眼にさへぎる影をはらへ、耳に塞がる塵を去れ。その影消え、その塵絶え、心はすみて鏡の如く。湛然として淵の如くば、かの小天地に限られし。きのふのわれを外にして、至上至尊のわれあるを知らむ。
日月(じつげつ) 燦たる(さんたる) 翔る(かける) 至大至剛(しだいしごう) 至玄至妙(しげんしみょう) 離合聚散(りごうしゅうさん) 鐘めたる(あつめたる) 湛然(たんぜん)

(柳 路夫)

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