2000年(平成12年)4月20日号

No.105

銀座一丁目新聞

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追悼録(20)

 

 雨有情/ありし友なく/櫻散る

4月の雨の日,中央線高尾駅近くにある多摩森林科学園に友人たちと櫻見物にでかけた。ここの広さは日比谷公園の約3・5倍の57ヘクタールもあり,標高は183メートルから287メートル。5月下旬までサクラを見ることができる。サクラの木は6000本,品種は200を数える。毎年陸士の同期生たちと訪れている。

今年あつまったのは35人。いつも参加する橋本閑朗君の姿がみえなかったのが淋しいかった(1月28日,死去)。

白妙の/雨に磨かれ/花白し

面白い名の品種が少なくない。飴玉,雨宿、帆立など・・・太白(たいはく)は一時絶滅したのを櫻愛好家のイギリス人の庭園に咲いていたのを苗つぎして再生させたサトサクラである。白妙は見ごろで咲き誇っていた。雨にぬれて一段と花の色が鮮やかであった。

花より/団子やありて/帰雁(かえるかり)貞徳

「江戸俳句夜話」の著者復本一郎さんは「花咲き乱れる日本が一番美しいこの春に雁が北へ帰っていくというのは北の国においしい食べ物(団子)があるにちがいないと句作して笑いを示す」と解説する。

さくらを見終えて私たちも「団子」を求めて近くの茶屋に繰り込んだ。酔うほどに歌が出た。歩兵の歌,航空百日祭の歌、砲兵の歌・・・

戦車兵の歌を荒井正之助君が一人で歌った。本来なら戦車に進んだ橋本君もいるはずなのだが、1月28日、くも膜下出血でかえらぬ人となった。数年前に奥さんをなくされ一人暮しであった。私たちの区隊幹事として何くれと面倒を

みてくれた。戦後、歌舞伎座の支配人を務め同期生たちをよく歌舞伎座に案内した。まことに温厚な紳士であった。(柳 路夫)

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