銀座一丁目新聞

花ある風景(

ロッキード事件取材班の会開かる

並木 徹

いつの頃からかロッキード事件(昭和51年3月)を取材した記者たちが集まって年に1、2度会合を開く。今年は事件が起きて43年である。事件は一向に風化しない。元総理の田中角栄が逮捕されたとはいえ流れた資金の全容が解明されていないからだ。話題になるのは『眠っている巨悪は誰か』である。幹事はいつも板垣雅夫君。集まったのは7人であった(9月2日。午後12時半集合・市ヶ谷・中華料理店)。私は会合には常に30分前到着を原則としている。中華料理店には12時に着いた。到着順序は1番中島健一郎君、一番遠い市原市から来た。2番目沢畠毅君、3番目渋沢重和君、4番目堤哲君、5番目板垣君、6番目寺田健一君であった。私の予想と全く逆であった。これまでの人柄から到着順序を判断したのだが到着順序は今の彼らの生活実態から来ているのかもしれない。私の勘も鈍ったと思った。最近『国鉄・JRラグビー物語』を出版した堤君はすこぶる元気であった。彼の調べによると現在、社会部OBで90歳以上は4人いる。常に会合に顔を見せるのは私だけという。だが私も10月に開かれる「社会部旧友ゴルフ会」が最後の参加になりそうだ。沢畠君が「間近なり三途の渡し秋の風」の句は淋しいといった。そこで私は「三途の川から追い返された」という話をした。今日、参拝した靖国神社でひいたくじが「三途の川には今舟がないから出直せと」という卦であった。正確に書くと「このみくじにあう人は進むに悪く川の岸に到って 舟なくまどう心に似て 物をあらため またはじめること 時をまつがよい」とあった。偶然とはいえ不思議なことがある。みんなには私の心境を伝えるため予め本誌9月1日号の『安全地帯』を配った。その中にこの私の俳句が紹介されてあった。中島君は千葉県市原市で自然エネルギー村である『土太郎』(どたろう)を開発中で目下140戸のうち75戸がうずまった。昨今は養蜂事業に専念している。はちみつを瓶詰めにして養蜂事業に出資した人の配当として渡しているという。コーヒータイムで聞いた彼の浅間山荘事件〈昭和42年2月〉の特ダネ秘話は面白かった。堤君が達筆で『悠々』と書かれた文字を背景に12、3人が写っている写真を示す。毎日書道会の事務局長をしていた寺田君が即座に書道会の先生に書いて頂いた書だという。『悠々』は私の俳号である。私が80歳になった記念も兼ねた「ロッキード会」であったと思う。今でもこの書は自宅の居間に飾ってある。すでに14年。何人かはあの世に旅立った。『健康法』を聞かれて毎朝つづけている『冷水摩擦』と『くよくよしないこと』を上げた。みんなから誕生日のお祝いにバラとひまわりをあしらった花を頂いた。ひまわりは私の好きな花である。

「ひまわりに集う侍笑顔なり」悠々