2015年(平成27年)1月10日号

No.632

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追悼録(548)

友人宇井豊さんを偲ぶ

 友人で医者の宇井豊君がなくなった(平成26年12月18日)享年89歳であった。昨年6月手術をしてよくなったとご家族が思っていた処の思いがけない死であった。葬儀には陸士の同期生、医者仲間、患者さんたち多数参列した。靖国神社からの花輪もあった。宇井君は靖国神社とは縁が深い。靖国神社境内にある「鎮霊社」の御霊祭りには熱心であった。一昨年12月、安倍晋三首相が「鎮霊社」を初めて参拝した。新聞は一行も報じなかった。誘われて私は御魂祭りに参列したことがある(2012年7月13日)。参列者わずか10人と少なかったが神官6人が執り行う品格ある神事であった。ここの祭神は1853年(嘉永6年)ペリー来航以来の、戦争で倒れた日本人だけでなく外国人も祭祀されている。西郷隆盛も白虎隊員も含まれる。東京大空襲で犠牲になられた方々も祭られている。1965年(昭和40年)7月、当時の宮司筑波藤麿さんの発案で建立され、毎年7月13日を例祭としている。

 宇井君とは数年前に同期生会の幹事となった関係で顔見知りとなり、小冊子「八紘一宇」の責任者と知った。宇井君は「八紘一宇」の碑を世界と国内に建てるのを念願としていた。「八紘一宇」という言葉は「日本書紀にある。「六合(ロクゴウ)を兼ねて以て都を開き、アメノシタ(八紘)を掩(オオ)いて宇(イエ)となす」とある。道義による世界一家の実現を期することである。世界は一つの家という意味である。英語で言えば「UNIVERSAL BROTHER HOME」である。この言葉を広めたのは大正期(大正3年11月)に国柱会を起こした田中智学である。この国柱会に石原莞爾(陸士21期・中将)が入信している。石原はこの言葉を日本建国の理想を現す言葉として使っていた。

 宇井君は各国にある日本の大使館、国内では公共の土地、全国にある52ヶ所の護国神社、8万社ある神社の境内にそれぞれ「八紘一宇」の碑を建立したいという。日本の平和の意志を世界に訴えんとする志であった。人のため世のために己を尽くすことにことさらに熱心な友人であった。志半ばにこの世を去ったのは本人にとって返す返すも残念であったと思う。心からご冥府をお祈りする。

(柳 路夫)