2014年(平成26年)12月1日号

No.628

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安全地帯(448)

湘南 次郎


米寿とはこんなものでございます


 賞味期限の切れた老生の米寿とはこんもの、ご披露しましょう。毎晩9時〜10時ごろ就寝。朝は5時〜6時ごろ目が覚める。現在家内と二人暮らし。数年前夫婦ゴルフもやめた。多少居住に不便なので二人とも車を運転するが、先日車の買い替えに、本年同時におばあちゃんになった二人の娘は猛反対。やっと交渉の末、3方エアバッグ、前方の障害物に近づくと自動急停車、後方は警告音付きの車で予算オーバー。気持ちは判るがやっとお許しが出る。

 数年前、江の島花火大会見物で駐車場の側溝の中へ転がり込み頭を打ち出血、生まれて初めて救急車に乗る。現在、早朝約1時間の散歩に裏山を越え、「ガスト」で朝飯を食べ、新聞を読むのを楽しみな日課としているが、山道の雨上がりの下り坂で3回ほどすべって尻もちをついたことがある。ズボンはドロドロ、誰も見ていないから急ぐことはない。数分間、木の間越しに空を見てからゆっくり起き上る。実は肩、膝、腰に変調あり痛みも伴っているのでそう簡単には起き上がれないのだ。医者の話だと笑いながら加齢で脊椎の間隔がなくなり、油切れ、神経を圧迫しているのだそうだ。修理不能、ぞうきんならとっくにすり切れている。多少痛んでも医者は歩くのをすすめるので散歩にはアメリカの義弟から贈ってくれたノルディックストックの二本杖で歩く。ほかの外出時は一本杖を使う(乗り物で席を譲って下さるのはあり難い)。とにかく自前の二本足では心もとない。家にいると、コクリと約2,30分、椅子で昼寝をする。テレビはつけっぱなし、新聞を顔に、日向ぼっこで極楽々々。ふだん正座はできず、就寝はベッド、着替えにも椅子利用を。旅行には和室を敬遠、駅での階段は手すりにつかまるか、エスカレーター(上りがあっても、下りがないところがあるが、足には下りがこたえる)やエレベーターを利用する。最近耳が遠くなってきた。テレビのアナウンサーの声はいいが、一般の人の声が割れて聞きにくい。無線のレシーバーを買ってきて聞いている。会話には適当に相槌を打っているが家内も補聴器をすすめる。でもなんだか威勢が悪いので持っていない。

 もの忘れ、特に最新の事を忘れる。旧いことだけ覚えていて夢も旧いのが多い。物をヒョイヒョイ置き忘れ、探し物は日常茶飯事、ケータイがごみのなかから、出てきたり、今日も携帯ラジオを「ガスト」へ忘れて来た。先日は財布を夕食時にレストランで。(ついにズボンへひも付きに)また、目あての撮影場所へ行ってカメラを忘れたのに気づいたり、スイッチや水道、錠前などの留め忘れ、会った人の名前をすぐ忘れ、また、目前の人の名前を思い出せず(アダナは別)、用件を忘れたり、スーパーのレジで財布を忘れたのに気付く。アレ、ソレと枚挙にいとまなし。頭の一升ますは旧い水で満杯。もう入らない。

 整形外科のお世話になる以外は幸いまだ、内臓は良いようだ。ほとんど夜中には起きない。夜中の小便予防に鼻くそのでかいようなノコギリヤシ、安定剤でぐっすり。あと便通と血液サラサラの薬で間に合っている。湿布は膝、肩の痛いところに貼る。子供の時から、酒・たばこはやらず、おかげで生き延びている。

 今年は、良き伴侶(?)が厄続きで、脈拍が30回/分にドロップ。急きょペースメーカーを入れたが、事後心臓に血がたまり、それを抜いたら今度は肺に水がたまりまた、抜くことに。入院3回、通算2か月の大病であった。おかげで老生一人になっても家計の事はさっぱりだが、そのほか家内には気の毒だが生きていくことに支障はなさそうだ。

 ムコ殿の勧めで数年前からパソコンを始めた。孫どもにこずかいをやりながら教えてもらうがハチャメチャの悪戦苦闘、なんとかやっているが、最近「パソコンで困ったときに開く本」(朝日新聞出版)が出た。早速購入、よく書いてあるのだがなにせカタカナつまり日本語ではない単語が多い。再度「この本で困ったときの本」が欲しくなる。年寄りの冷や水、老いの木登りか。

 難しい屁理屈や文章は苦手、いわゆる億劫(おっくう)になる。頭の中で咀嚼するのが面倒になる、いや、出来なくなるのだ。新聞やテレビでも見ていれば、世間の趨勢(すうせい)はほぼ判る。今更天下国家を論じても、専門的なお説を聞いてもチンプンカンプン。老生のような輩(やから)は黒田官兵衛、大岡越前、寅さん、釣りバカの方が気楽なのだ。

 まわりを見、思えば、一緒に学び、遊び、泣き、励ましあった友も三分の一以下となり、年賀状が減り、訃報が増え淋しくなるが、不思議と訃報のショックが少なくなってきた。一休さんの「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」途中の一里塚で止まった奴(死)、休んでいる奴(病)がいるがもう道中、先が見えたので、遅かれ早かれの心境になってきたのだと思う。それまで、一日を大切に悔いのない人生を。だが親友の本誌主幹の牧氏は120才まで生きるそうだから香典の関係上、老生は、119才を目標に。

 本年11月6日の新聞でNHK元会長の紅白歌合戦を育てた川口幹夫氏と正義感のあった落語家桂小金治氏の訃報を知る。ともに老生と同じ88才の米寿の生涯であった。先日、寒風のなか潮来(いたこ)12橋観光の舟で船頭のおばあさんが歌ってくれたのが身にしみた。「おれは河原の枯れすすき、そう言うお前も枯れすすき、どうせふたりはこの世では花の咲かない枯れすすき」(野口雨情の船頭小唄)

 台風で 家の前掃く ぬれ落ち葉       次郎
 四十五十は はなたれ小僧 八十八は花盛り  古老