2014年(平成26年)8月20日号

No.618

銀座一丁目新聞

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花ある風景(533)

 

並木 徹

 

69回目の終戦記念日に思う 

 終戦の日、靖国神社へ参拝する。午後1時過ぎだというのに拝殿前から大鳥居まで長い行列である。若い人が多いのに驚く。法務死された東条英機大将ら14柱が祭られていることなど問題にしていないように見受けられる。参拝者はひたすら250万柱の英霊に手を合わせる。

 8月拝殿・社頭に掲示された昭和天皇御製

 歌会始 光(昭和35年)
 「さしのぼる朝日の光へだてなく
 世を照らさむわがねがひなる」

 遺書は海軍兵曹長 庄司猛夫命
 昭和19年11月21日フィリピン東方海面で戦死
 福島県岩城軍内郷町出身 27歳
 「比島決戦では日本と米軍の航空戦力の差は決定的であった。大西滝治郎第一航空艦隊司令長官が特攻・神風特別攻撃隊の編成を命じたのは昭和19年10月20日であった。庄司猛夫兵曹長が戦死されたころはレイテ沖で連合艦隊が米機動部隊の攻撃にさらされ作戦能力を失っていた」

 この日の「銀座展望台」に次のように書く。

「終戦記念日。同期生14名が祭られている靖国神社に参拝する。
声高かに戦争の悲惨さが伝えられる。それはよしとする。戦争はしてはいけない。だが軍備は日本の背丈にあっただけをしておかなくてはならない。
理不尽なことを仕掛けてくる輩がいないとも限らないからである。
辺野古の海の海底の地質調査のための作業が始まった。嘉手納基地をここに移すためのものである。沖縄の基地は沖縄の人たちには気の毒なことだが東アジア防衛のために必要な戦略拠点である。
国の防衛と地域住民の生活環境・福祉を比較衡量した場合、防衛に軍配を挙げざるを得ない。新聞はいたずらに戦争の悲惨さばかりを伝えるのではなく、軍備と戦争を避けるための外交努力を追求する提案をしていくべきだと思う」
15日夜のNHKテレビで今の若者は今日が「終戦記念日」であることも知らず、どこの国と戦争したことにも答えられなかったのに驚いた。この国の「日本歴史教育」はどうなっているのかと思わざるを得なかった。英語教育より国の暦史を教えるべきである。今の若者には「集団的自衛権」などわりっこない。むしろ無関心なのかもしれない。いまのテレビが自分の身の回り5メートルぐらいの事しか話題にしないと指摘した識者がいたがまさに今の若者がそうである。

 「戦争の相手も知らで終戦日」悠々