2013年(平成25年)7月10日号

No.579

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追悼録(495)

元検事総長吉永祐介さんを偲ぶ

 

 ロッキード事件で主任検事を務めた元検事総長吉永祐介さんが亡くなった(6月23日)。享年81歳。当時、毎日新聞の社会部長であった私にはロッキード事件は思い出が深い。田中角栄元首相が逮捕された朝(昭和51年7月27日)、これを「検察重大決意へ 政府高官逮捕目前、五億円の流れ突き止める」として報道したのは毎日一紙だけであった。夜討ちした他の記者たちの情報もあったが決め手は高尾義彦記者(現・日本新聞インキ社長)の情報であった。それは吉永主任検事の「腹が痛くて明日は病院へ寄ってから役所に出る」というつぶやきであった。他社の記者はそのつぶやきになんの反応をしめさなかった。

 毎日新聞の吉永さんの死亡記事に添えて高尾君の『評伝』(69行)が掲載されている(6月30日)。格調高く心あたたまる追悼記であった。そのなかで吉永さんの座右の銘が「行くに径(こみち)に由らず」であったとある。この言葉は論語の『雍也第六』にある。論語には、『子游 武城の宰となる。子曰く、汝人得たるか、と。澹台滅明という者あり。行くに径に由らず。公事に非ざれば 未だ嘗て偃の室に至らず、と』とある。つまり、澹台滅明はどこかに行くとき正規の道を通り、決して近道を通らない.公用でなければ決して私の部屋に入らない」ということである。吉永さんは捜査に邪道を避け、困難でも公明正大な道を選んだということであろう。敗戦時、自決した陸軍大将・阿南惟幾陸相も「判断に迷ったときに苦しい道をとれ」と教えた。凡人はえてして安易な道を選ぶ。利にさとい現代人はとくにそうである。とすれば「困難な道を選び核心に迫った男の死」は少なくとも社会面のトップの記事ではなかったのか。死亡記事も時には社会面のトップを飾る。吉永さんを偲んでそのことを記憶に留めるのもはなむけになるであろう。


(柳 路夫)