2013年(平成25年)3月1日号

No.566

銀座一丁目新聞

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安全地帯(386)

湘南 次郎


大事件続く、とかくこの世は住みにくい

 本年1月16日、ここは地の果てアルジェリアの天然ガス施設人質事件で日本人10人の企業戦士が犠牲になった。余りにも悲惨な事件だ。昔なら靖国の社に祀られるような尊い方々だ。辺境の地で敢然と母国日本発展のため、命を懸けたことに深甚の感謝と敬意を表し、ご冥福をお祈りする。犯人、イスラム原理主義者武装グループを憎む。

 その涙も乾かぬうち、2月9日、政府は、公海上で海上自衛隊護衛艦とヘリコプターに中国海軍の艦艇から射撃用火器管制レーダーの照射を受けたと報道した。事件は1月19日と30日のことだったらしい。常識的には火器を突き付けられたのと同じこと、世が世なら戦闘が始まるところだが、日本人の忍耐強さ(?)をお見通しで、無礼な相手はやりたい放題、厳重抗議で終わりか? 

 2月10日にPC遠隔操作の犯人逮捕、もし真犯人ならこのアタマ、よい方に使えなかったか。某国にでも売り込めば高く買うぞ。それともわんさと住みついている野ら猫天国の江ノ島で、警備員でもしていればいいのにと、拙宅の近くの江の島灯台を見る。

 2月12日北朝鮮地下核実験並びに小型軽量化に成功。大陸間弾道弾をすぐにでも撃てる様なさわぎだ。ステップは挙がったかも知れないが大気圏を突き抜けて再突入をするとき、そんな物騒なものを弾頭に入れて高温に耐える技術は?仲のいいイランのミサイルへ入れたサルのように写真の顔が変わっていたなんてウソは駄目ですぞ。 (註)後日の隕石落下も参照

 2月12日夜グアム島の繁華街で日本人が連続殺傷される事件が起こる。奇しくもグアムへ数日前旅行した孫のみやげのクッキーを食べたところであった。「人間到る所青山(せいざん)あり」というが、ご運が悪かったのはまことにお気の毒、ご冥福をお祈りする。

 そんなところへ、今度は2月15日、宇宙から100年に1度とされるミサイルよりこわい隕石が、ロシヤ南部チェリャビンスク地方にさまじい航跡を残して落下、いや衝突か。多数の負傷者(特に窓ガラスによる)、家屋の損害があった。大気圏突入の爆発の衝撃波は廣島型原爆の30倍強も予想され核爆弾の比ではないようだ。ガラス工場のガラスまでも全部割れ供給ストップとか、笑い話にもならない。ちなみに衝撃波は、小銃弾でも頭上を通過するとき、シュウンとかパチッと音をする。いくさのベテランともなるとその音で敵の距離がわかると聞いたことがある。

 話かわって、小生は珍事に遭遇。2月14日の夜午後6時ごろ伊豆伊東の里山を車で運転中、偶然ライトの反射でほのかに、横の草むらで大きな岩が動いているようだ。車を止め、目を凝らすとそれは大きなイノシシだった。あちらもこちらをじっと見ている。「おれが70`だから100`はある」。数分のにらみ合いの後、ザッと音を立てて草むらへ姿を消した。猪突(ちょとつ)猛進で車をやられなくて良かった。あとでしし鍋(ぼたん鍋という)にしたら何人前かなとくだらないことを考えたが、あのときは車の中でも相手は猛獣、緊張した。

 ホテルへ帰って温泉浴場へ。脱衣所のかごで一人だけ入っているのが判る。戸を開けて「こんばんわ」とご挨拶するが返事はない。見てビックリ。浴槽のなかで肩まで入ったまま、坊さんの読経よろしく、スマホだかケータイだかをかざして夢中にチョコチョコやっているのだ。ものすごい形相、目は凝視して人を寄せ付けるような顔ではない。齢のころは50前後か。小生は温まって出て来たが彼はまだ入っている。あきれ、のぼせないかと心配になるが、とかくこの手の奴は満員電車のなか、歩きながら、自転車や自動車を運転中、トイレの中でも手放せない重症の中毒患者だ。人の迷惑関係なし。ゴーイングマイウェーだ。PC江の島事件もこの手会いだと思う。ただ、浴槽で見たのは初めて。事件ではなかったが、ひと夜の珍事であった。余計な、ド平和なお話しだがお許しのほど。