2012年(平成24年)4月1日号

No.534

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追悼録(449)

清水一郎君逝く

 

 毎日新聞で一緒に仕事をした社会部の清水一郎君が死んだ(3月19日‣亨年85歳)。毎日新聞に掲載された死亡記事には「皇后様が天皇陛下とご結婚される直前『正田美智子さん直筆の手紙』をスクープするなど社会部の皇室記者としても活躍した」とあった。

 陛下が皇后様と婚約されたのは昭和33年11月27日であった。「毎日新聞百年史」(昭和47年2月21日発行)によれば、その日、毎日新聞は特別夕刊8ページの号外を出して、朝日2ページ号外、読売半ページ号外に比して圧倒する質と量の勝利であったとある。

 それは8年にわたる「皇太子妃取材班」の努力の成果でもあった。取材班のメンバーは杉浦克己社会部長、富樫準二編集局嘱託(宮内庁記者60年)柳本見一デスク、桐山真、清水一郎、牧内節男、藤野耕太郎、古谷糸子、関千枝子、小峰澄夫の十名であった。現在生きているのは牧内と関の二人だけである。皇太子妃として正田美智子さんの線をつかんだのは毎日新聞が一番早かった。情報は複数の筋からもたらされた。正田美智子担当になったのは宮内庁クラブの清水一郎記者であった。正式発表までに清水記者は何度も池田山にあった正田邸を訪れて美智子さんと会っている。清水君は記者としてよりも人間として信用されたのだと思う。美智子さまは民間から皇室に嫁ぐ悩みを清水記者に相談したこともあったと聞く。清水記者は慎重居士で粘り強くコツコツ仕事をするタイプであった。その性格を見抜いて当時、社会部デスクであった福湯豊デスク(故人)が警視庁捜査2課担当から宮内庁記者クラブに配置換えした。名文家・藤野好太郎記者を入れたのも福湯デスクであった。仕事がうまくいくかどうかは人事の妙が大きく影響する。

 3月23日小雨降る中、西立川で開かれた告別式で喪主を務める長男の保彦さんが「小学校の5,6年生のころ牧内家で手造りのアイスクリームを頂いたがあの味が忘れません」と話した。そんなことすっかり忘れてしまった。あのころは寝食を忘れて仕事に励んだ。それから50年。戦友たちが相次いであの世に逝く・・・


(柳 路夫)