2011年(平成23年)10月10日号

No.517

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花ある風景(433)

 

並木 徹

 

 同期生・医師熊沢忠躬君の随筆集
 

 近く開かれる全国大会で久しぶりに同期生の熊沢忠躬君に会えると楽しみにしていたところ、このほど検査で体の異常が見つかったので出席を断念するとわざわざ手紙で知らせて来た。熊沢君は関西では著名な耳鼻咽喉科の先生である。関西にいる私の友人たちとの付き合いもありよく彼の消息を聞く。今年の5月、30年前に出した随筆集『十年有半』の復刻版を送っていただいた。この本が非常に面白い。松下幸之助さんも彼の診断を受けた患者の一人である。巻頭言で松下さんは熊沢先生から「喉には“沈黙が唯一の療法”と言うおさとしを受けましたが、仕事柄しゃべりたくない時でもしゃべらざるを得ず、これ以上不良患者はいないと思います」と書いている。さらに彼が『科学者に要求される最も大切なモラルは謙虚と友好心である』との意見に私たちの世界でも同じであると共感しておられる。こんな話もあった。某公立大学医学部の入試の際の口頭試問で「交通事故でけがをしたら君は親切な医者を選ぶか、それとも親切ではないが腕の立つ医者を選ぶか」の質問が出された。受験生は「救急車が決めて呉れます」と答えて、皆が大笑ひになったという。貴方ならどう答えるか・・・。

 この随筆集で初めて知ったことだが「耳くそ」は人種によってその成分が違うそうである。欧米人、黒人はウエットで俗にあめ耳と言われるものが多く、やわらかいから素人でも取れる。東洋人はドライなものが多く、もし栓塞すると専門家でないと取れない。この耳くそ除去で熊沢君がフィリピンの対日感情好転に一役買ったというから驚きである。カンランオン市に医療奉仕に行った時のことである。彼の元に幼児から老人まで難聴を訴えるたくさんの人たちが集まってきた。そのほとんどが生れて以来の耳垢栓塞であった。しかも耳の奥までぎっしりとセメントを固めたように詰まり取り出すことが容易ではなかった。幸いにも特殊な薬、機械を持ってきていたので時間をかけて取り除いた。中に女性市会議員がいて医者からメニエール病と言われていたのをこの耳垢除去によっていままでの難聴、めまい、耳鳴りから即座に解放された。喜んだ女性市議は「生き返ったようだ」と逢う人に宣伝したそうである。「耳くそ」と言うなかれ、立派に日本外交の役割を果たしている。熊沢君を紹介して呉れたの昨年9月に亡くなった上田広君である。私と上田君は熊沢君とは陸士の本科14中隊では区隊こそ違え同じ中隊であった。当時彼は工兵、私と上田君は歩兵であった。話す機会はなかった。昭和19年10月から昭和20年5月まで同じ兵舎で寝起きした仲間である。全国大会の翌日、神奈川県座間にあった陸軍士官学校(現在陸上自衛隊座間分屯地)を見学、昔をしのぶはずであった。熊沢君と会えないのは返す返すも残念である。